先日、上の娘と島根県の出雲大社の神迎祭に旅行に行ってきました。
簡単に説明させて頂きますと、11月(旧暦10月)は、全国の八百万の神々が出雲の国に集まる月です。他の土地では神様が留守になるので神無月といいますが、出雲では神在月と呼ばれています。神様をお迎えする「神迎祭」に始まり、「神在祭」そして、全国に神々をお見送りする「神等去出祭」が行われます。
今回は、1日目に出雲大社の西方1kmにある稲佐の浜で、神々をお迎えする神迎神事である「神迎祭」に参加し、2日目は出雲大社をお参りする1泊2日の行程です。
神在月に出雲に行くことは、以前から興味があったのですが、出雲出身のお友達から、神在の期間はホテルや飛行機が確保できない。人が多く車が渋滞すると聞いて、ここ数年行きたいと思いながらも躊躇していました。
9月に気功の仲間から出雲の神迎神事に行ったときの話をたまたま聞いて、参加したい気持ちが高まり娘に相談したところ、静岡空港から出雲便があり、空席があること、この日のホテル空きはないが、大阪まで夜行バスで帰るという最終手段があること(後にホテルはキャンセルがでて確保できました。)を提案され、とんとん拍子に物事が進み、娘と2人で神在祭に行くことになりました。
当日、静岡から出雲までは1時間、機内では飲み物とシャトレーゼのお菓子まで頂き快適に過ごしました。
バスに乗り換え出雲市駅で関西方面から特急電車で来た娘と待ち合わせをし、2人で一畑電車で出雲大社駅へ向かいます。
出雲大社駅から、出雲大社を経由して25分ぐらいかけてゆっくり歩き、17:30、ちょうど神事が行われる1時間半前でしたが、稲佐の浜に到着した頃にはすでに大勢の人がいました。
係の方から一人一人白御幣をを頂いた後、私達はまずは、稲佐の浜のシンボルである弁天島の祠にお参りし、神事まで待つことにしました。
神事が行われる場所は、たくさんの人が並んでいて、見えない状態でしたのでそちらは諦め、砂浜から海の方向を見ることにしました。
開始30分前、突然パラパラと雨が振り出し、と同時に白い鳥が現れました。
後からわかったのですが、この白い鳥は白鷺で、白鷺は古くから神の使いとされており、見かけたら幸運に恵まれるといわれています。
調べてみますと、
「特に神社で白鷺を見るのは、神様から歓迎されているサインです。白鷺が神の使いとしてあなたの目の前に現れ、歓迎の意を伝えてくれているのでしょう。」
と書かれていたので驚きました。
神事の30分前に目の前の浜辺に現れた白鷺は15分ほどそこに居て、その後去って行きました。
夜の浜辺は気温も下がってきて、かなり寒く感じました。
19:00、いよいよ神事が始まりました。
この続きは来年1月のひとことに書かせていただきます。
本年最後の『ひとこと』になりました。
今年も多くの方々に静岡気功教室にご参加いただき大変嬉しく思っています。
また来年も宜しくお願い致します。
皆さんは職場に機嫌の悪い上司がいて、いつも理不尽なことを言ってくる。そんな経験はありませんか?
嫁姑問題、一昔前は、当たり前のようにあったことのようですが、お姑さんがお嫁さんに文句ばかり言う。
小姑がお嫁さんに嫌味を言うなどはよく耳にしました。
私も若い頃、職場で嫌な経験をしました。
『幸せな人は意地悪をしない』と私に教えてくれた方がいて、なるほどそれなら私に意地悪をした人は幸せではないのだ…と思うようにしていました。
最近は核家族になり親が子供を虐待するケースがあるようです。
赤ちゃんが泣き止まないからカッとして赤ちゃんの口にオムツを詰め込んだ、というニュースは最近のことです。
子供を躾けのために怒鳴る、叩くなどは、もしかすると多くの家庭であるかもしれません。
それも親が仕事で疲れている時や具合の悪いときに限って、子供が言うことを聞かないからついカッとしてしまう。
そして後から「また子供に酷く怒ってしまった…ごめんね」と心の中で後悔する。子育ての経験のある方なら共感して頂けるかもしれません。
『心の中の怒り』
ある日、若い弟子が仏陀に質問しました。
「師よ、なぜ私は他人に怒りを感じてしまうのでしょうか?」
仏陀は穏やかに微笑み、手に一杯の水を持ちました。
「この水を持って歩きなさい。だが決してこぼしてはいけない。」
弟子は慎重に歩き出しましたが、すぐに少しずつ水がこぼれてしまいました。
「なぜ水をこぼしたのか?」
と仏陀が尋ねました。
弟子は答えました。
「気をつけていたつもりでも、揺れや
外からの刺激でこぼれてしまいました。」
仏陀は優しく言いました。
「怒りも同じだ。他人の行動は
ただの刺激にすぎない。だが、あなたの心の中に既にある不安や不満が揺れ動くからこそ、怒りとなって溢れるのだ。
周りの状況や他人のせいにするのではなく、自分自身の心を見つめ、穏やかに保ちなさい。』
その怒りは思い通りにならない子供や部下が悪いからではなく、怒った人の心に、元々不満や不安や溜まっていて、自分に余裕がない時ほど、些細な事がきっかけで溢れてしまうと気づかされます。
【爽やか気功体操静岡】はいつも和やかな雰囲気です。
よかったら参加してみませんか?
お待ちしています。
今年の中秋の名月は各地で綺麗に月が見えたようです。
私も少し前までは、今やらなければならない現実問題が山積みで、中秋の名月と言えど、鑑賞して想いに耽る余裕などほとんどなかったように思いますが、今回はじっくり月を見たり、学生時代のお友達と写真を送りあったりしました。
皆それぞれ、仕事のこと、夫や子供のこと、親のこと、自分の健康のこと、手一杯だった時期が過ぎ、年齢を重ねてだんだんと執着が薄くなってきたということなのかもしれません。
この気功の李先生は、
「本当の修煉は心を修煉しなければならないもので、心性が高まった時、はじめて人間のあらゆる欲望や執着心、悪しきものを捨てることができ、はじめて自分自身の良くないものを放り出して浮かび上がってくることができます。」
とおっしゃっています。
仏陀は、
「すべてのものは一時的であり、私たちがどれだけ努力しても、永遠に持ち続けることはできない。
執着を手放すことで、私たちは真の意味で心の平安を得ることができる。」
と教えています。
たまたま読んだ仏教学院の仏教ウェブ入門講座に、〝執着のおかしなところ〟と題して、わかりやすく面白い表現で執着について書いてありましたので紹介させていただきます。
『執着のおかしなところ
ところが考えてみればおかしなことです。
私たちは、それらにどんなに執着しても、最後死んで行くときには、置いていかなければならないからです。
生きて行くことを電車に乗ることにたとえるとよく分かります。
私たちが生まれたときを、電車に乗った時だとすると、車内で座席が空くと、先を争うように座ります。
途中の駅で、色々な人が乗ってきたり、降りていったりします。
生まれて来る人もあれば、死んで行く人もあるということです。
私たちの人生でも、色々な出会いや別れがあり、数少ないポストや立場を奪いあって苦しんでいます。
そして、「これは自分のとった椅子だ」と執着しています。
ところが、いつまでも電車に乗っているわけではありません。
終着駅というものがあります。
終着駅に着いたら、争って座った座席を自らはなれて、降りて行かなければなりません。
人生から降りていくときには、あれだけ執着して手に入れたお金も財産も、地位も名誉も何一つ持って行けるものはないのです。
それにもかかわらず、私たちは、
「これは私のものだ」
「これは私の家だ」
「これは私の功績だ」
「これは私のやってきたことだ」
「あの人は私のものだ」
「あの子は私の子だ」
と、人それぞれ、色々な人や物事に執着して苦しんでいます。
それで、世間の人生論では、執着とは、人や物にとらわれることだとして、それが苦しみの原因だから、執着を捨てなさい、手放しなさい、と教えています。』
この電車の例えを読むと、自分もまだ執着を捨てきれていない部分がたくさんあるとハッと気付かされます。
季節もよくなってまいりました。
静岡気功ではいつでも皆様のご参加をお待ちしていますのでお気軽にお越しください。
天目という言葉をご存知でしょうか?
この気功の本には、
「天目は人の両眉まゆの間よりやや上、松果体しょうかたいにつながるところにあり、そこが主通路です。」
「天目の次元の高い人はわれわれのこの空間を超えて、他の時空を見ることができ、常人の見えない光景を見ることができます。」
と書いてあります。
ヒンドゥー教のインドの女性が眉間の辺りに赤い印をつけていたり、仏様の眉間のホクロのような白毫、手塚治虫さんの「三つ目がとおる」の主人公、三つ目族の子孫で不思議な力を持つ少年、写楽の額にある三つ目を思い出す方がいらっしゃるかもしれません。サードアイなどと呼ばれるものです。
「三つ目がとおる」の主人公の写楽保介は、いじめられっ子でおとなしく、無邪気で純粋な性格の平凡な中学生なのに時々奇行をします。
実はその正体は、古代ムー大陸で高度な超古代文明を繁栄させた『三つ目族』の末裔で、額に貼られた絆創膏をはがすことにより、その下に封じられた第三の目が、三つ目族の超能力と天才的頭脳を写楽にもたらす、このようなストーリーです。
先月のひとことで書いた目黒の五百羅漢寺の史料が展示されている聖宝殿に置かれていた『獏王像』もこの写楽とそっくりの丸い目を両眉の間に持っていました。
獏王像は厳つい顔つきの人面で、両眉の間よりやや上に写楽とよく似た第三の目があり、牛のような胴体の腹部の左右にも3つずつ目があり、合計9つの目をもつ獏王像も、三年半で五百もの羅漢像を彫り上げた松雲元慶禅師の作品です。
第三の目に関しては、この気功でも
「次元が高いほど天目で見えるものは、真実に近い」と書かれていて、獏王様が人間の悪夢を食べ、良い夢を与えるとされる霊獣で、厄除けや疫病退散の御利益があるといわれる所以がわかる気がしました。
この、気功をしていると、眉間のあたりがむずむずしたり、天目が開いて不思議な体験をされたと言われる方もおられ、気功の後のお茶タイムで話題になり興味深く聞いています。
ただ、私は、天目を開いて不思議なものが見えるかという事は、この気功の目的ではなく、むしろ見えているから次元が高い人というわけでもなく、見える見えないより気功を通じて心性を向上させることこそが大切だということを強調したいと思います。
気功に興味をお持ちでしたらどうぞお気軽にご参加ください。
先日、目黒の五百羅漢寺へ行きました。
五百羅漢は釈迦牟尼が入滅後その教えを編纂するために集まった五百人の直弟子達で、人々から尊崇されていたこの五百人のお弟子さんたちが五百羅漢のモデルであるといわれています。
梅雨明けの猛暑日で、早朝に行くのがよいかと考え、お寺には開門の9時に到着し、受付でパンフレットをいただきましたが、私の他にはどなたもいらっしゃいませんでした。
順路どおり最初に羅漢堂に入ると、そこには146体の羅漢像が安置されていました。
駅から歩いて来て汗だくでしたが、羅漢堂にたった1人の私、背筋がぞくっとして一瞬で汗が引くのを感じました。
でもよく見ると、羅漢像の表情や姿態には何の気取りもなく自由で喜怒哀楽もはっきりとわかります。
厳しいお顔なのにどこか親しみが感じられたり、思わずこちらも笑ってしまうほどの満面の笑顔だったり、じっくり見ていると親近感がわいてきます。
〝一体ずつ拝んでいくと必ず亡くなった縁者に会える〟という言い伝えがあるといいますが、それも納得です。
気がつくと私も夢中で父に似た顔を探していました。
羅漢像の一体一体の前には、それぞれ大切な教えが書かれています。
⚪︎足ることを知らぬ者は、富めども貧しい
⚪︎親しむべき友を見分ける
⚪︎父の徳業は、子のための最上の贈り物である
⚪︎笑顔で迎え感謝でおくる
⚪︎財は決して永遠の宝ではない
⚪︎名誉はこれを追う人を避ける
⚪︎賢い人の心は、深い池の水のごとく澄む
⚪︎多くを聞いて少しく語る
⚪︎道は、山のごとく登れば、ますます高し
⚪︎周りに左右されず、信念を貫く
⚪︎縁を大切にする
⚪︎喜んで与える人になる
⚪︎やり始めた事はやり遂げる
⚪︎物の本質を見抜く
どれもお参りする人の心に響く教えばかりです。このことからも羅漢さんは心から親しむことのできる仏道修練者として、江戸時代の人に広く信仰されていたことが想像されます。
本堂に入ると、誰でも椅子に座ってテープで流れてくるお釈迦様の説法を聞くことができます。自分も羅漢の一人になった気分で聞くと一言一言が胸に刺さります。
私が席に着くとお釈迦様は
「岩に文字を書くといつまでも消えずにずっと残ります。
砂に文字を書くと跡が残りますが岩に比べれば残らず砂浜に書いた文字は波が押し寄せると跡形もなく消えてしまいます。
水に文字を書いても何も残りません。
どんな人からどんなことを言われようとも、怒りの心を起こすことなく平然とした心持ちでいなさい。
岩のような人よりも砂のような人に、砂のような人よりも水のような人になりなさい。」
というものでした。
この教えは、気功の本に度々でてくる「最も大切なことは執着を無くすことです。」
と共通している、と思いながら私は聞いていました。
羅漢さんの教えの中に
⚪︎縁を大切にする
というのがありましたが、私が静岡で気功教室をさせていただいているのもこのご縁です。
今までも、参加してくださっている方がお友達を誘って来てくださいます。
これも大切なご縁です。
このご縁を大切にしてこれからも続けてまいります。
皆様のご参加お待ちしています。
先日飛行機に乗る機会があり、そこで読んだ機内誌に掲載されていた文章、見開き2ページ位の短いものでしたが、共感しながら面白く読みました。
『足るを知る』にはということで
内容は、他人をみて「いいなぁ」とか「うらやましいなぁ」と思ったときは、すかさず頭の中で「そんなにいいか?」とつっこんでみる。するとほとんどの場合、「そうでもないなぁ」となる、というのです。
当事者意識を持つことが大切!ということで、具体的に自分が当事者になったらどういうことになるかの例が、いくつか紹介されていました。
⚪︎高級住宅地の豪邸、最先端の高層マンに住んでみたい。
→掃除や維持に手間がかかる。広すぎていらない物も増え、動線が長くなるので不便。
⚪︎麻布台ヒルズに住んでみたい。
→一見優雅に見えても、受け継いだ財産の維持に気を使って生きていかねばならないので気の毒。
⚪︎投資銀行の高いポストにつき高収入で昼間から豪華なシャンパンを飲む生活をしたい。
→仕事は息つく暇もないほど忙しい上に、常に競争を強いられ自分の評価に怯えて過ごすのはまっぴらごめん。
こんな感じで一つ一つ自問していくと「そうでもないな」という自答になる。…と、こういうことです。
この自問は私にとっては全く縁のない自問ですが、自答を読みながら、笑いをこらえて、「私も!同感」と心の中で拍手です。
気功の本には
『失わなければ得られず、得ようとすれば失わなければならない。』
これは天の理です。
とあり、つまり、何かを得ようとすると、当然引き換えに何かを失うということだということですが、得ようとする時には、失っていることには気づかず、失ってみて、その代償に初めて気づくのです。
気功を始めて私はこの理を知ったのですが、特に近頃、これを実感する場面に出会うことが多く、ハッとさせられました。
だからといって、代償をおそれて何も挑戦しないのも違うと思いますし、ましてや目標のないことは最も残念なことです。
気功の本にはこの解決法として
「肝心なのは善良な人でいることです。
慈悲心を持ち如何なることに対しても慈悲の心を抱いていればそれほど簡単に問題が起きることはありません。
個人の利益に対して淡々としていて心根が善良であればそこから制約を受けるので何事をするにしても悪いことをしでかすことはありません。」
言うは易し行うは難し。なのですが、私も〝善良な人〟を心がけていこうと思います。
最近、『爽やか気功体操 静岡』のお問い合わせに、気功に興味があります。
とはっきり書いてくださる方が増えてきました。
少しでも興味をお持ちでしたら、ぜひご参加ください。お待ちしています。
先日、爽やか気功体操に参加してくださっている中のお一人が、鈴木秀子先生の雑誌の対談をコピーして持ってきてくださいました。
それは長年、宇宙の摂理を探求する理学博士の佐治晴夫先生と聖心侍女修道女会のシスターで文学博士の鈴木秀子先生の対談で、非常に興味深いものでした。
佐治先生が研究者になられたきっかけは若い頃の、世界的な彗星探究家の本田実先生との出会いだったそうです。
一方、鈴木先生がシスターになられたきっかけは、終戦時に受けた衝撃、どんなに時代が変わろうとも変わることがないものを求め続けて最終的に行き着いたのが神様であり、イエスキリストだったとおっしゃっています。
このことについて佐治先生は
「人生はすべて出会いによって決まると僕は思っているんです。
ここで大事なことは、その出会いがよかったか悪かったかは、その時にはわからないということです。
だから、それぞれの出会いは大切にしていかなきゃいけない。
ケースにもよりますが、この出会いはよさそうだから。とか、これはあまりよくない。とか自分の価値観で判断しないことです。」
鈴木先生も
「その通りですね。出会いに偶然はなく、必ず何らかの意味がありますから。」
それが人物であったり、出来事であったり、本であったりと、出会うものは様々ですが出会いがどういう意味を持っているのか。それが後になってわかるように、人生に対する試練についても同じことが言えると、次のようにおっしゃっています。
「過去に死んでしまいたいと思うほどの辛い出来事があったとしても、そこで生きていたからこそ未来に向かって希望を持つことができる。そうやって努力を重ね、よき未来が拓けるとしたら、悪かったと思っていた過去の価値が全く変わってしまうことになります。
僕はそのことを、あなたのこれまでがあなたのこれからを決めるのではなく、〝あなたのこれからがあなたのこれまでを決める〟と表現しているんです。
これからの歩み方次第で過去の価値はいかようにも変えられる。」
あなたのこれからがこれまでを決めるという言葉は私の胸に強く響きました。
普通は逆の思考で、過去(これまで)は変えられないけど未来(これから)は変えられるからと気持ちを鼓舞して生きています。私の今までの過去の人生の中でも、後悔や辛いことも大小経験し心に引っかかっていることもあります。
たしかに、過去の事象は変えられません。それは親ガチャなどというスラングにある、生まれてくる子供は親を選べないような、自分の力ではどうにも解決できないような過去の場合もあります。
ですが、過去の経験から学びを経て、辛かった経験が、自分にとってプラスかマイナスかを決めるのは、未来の自分に決定権があるとのことです。
よく後悔のないような選択をしたい、と人は悩みますが、辛かった出来事も人生の必要な学びとして昇華させることができれば、プラスになります。変えられないと思った過去が未来の捉え方一つで、価値を変えられると思うと、希望が沸いてきました。
皆さんも一緒に気功を始めませんか?
皆さんのご参加、心よりお待ちしています。
前回に引き続き和歌山県の熊野古道、那智の滝への旅行記の最終回となります。
今回訪れた那智の滝は、那智の奥の連山から流れ出ている流水が滝となり、那智四十八滝といわれ、その中で最も低い所にある一番長いのが、ガイドブックなどにもよく載っている『一の滝、千手観音滝とも称される那智の滝』です。この『那智の滝』の上流に『二の滝』と『三の滝』があり総称して『那智の大滝』というそうです。
午前中、那智山の聖域内の二の滝を訪れ、お昼にお弁当をいただいた後、今回参加された方の中には『那智の滝』は以前来ましたから。と言って、見ずに帰られる方もいらっしゃいましたが、私と娘にとっては初めての熊野ですから、朝から降り続く雨の中、ガイドさんに連れられ『一の滝』に向かいました。
『一の滝』は比較的楽に行けると思っていたら、高さのある石段が何段も続き、靴の中のスポンジが水を吸って足は重い、着ている服もびしょ濡れで寒い、更に沢で転んだ膝を心配しながらの私の気持ちは半分ヤケクソ状態でした。
周りを見回すと、私達親子が一番ビリ、娘は私に歩調を合わせてくれました。
もうクタクタでしたが、那智の滝を間近に見た時は、山中を流れ落ちる荘厳な姿、一段滝としては日本一といわれる落差133m、これを見ずには帰れなかった、と心が踊りました。
もの凄い迫力に、気づいたら思わず手を合わせていました。
ここから皆でバス停前までもどり帰路につきました。
後日、旅行の写真を見せた何人かが、娘が撮ってくれた、『二の滝』をバックに私が両手を挙げている写真に、うっすらと龍神様が写り込んでいると教えてくれました。
立派な龍神様よ。ここが頭、ここが胴体ね。という人がいる中、これが龍?と首を傾げる人もいました。
当の撮影者の娘も、大雨の中で、写真を撮るのに必死で、指が写り込んでぶれたのでは…と言っていましたが…。
私は、龍神様は雨と言われるし、飛龍神社は、飛龍の滝だから 龍神様が写り込んでいても不思議なことではないのかもしれないと腑に落ちました。
なぜなら、那智の滝を見て、滝の音を聞き、その勢いのある飛沫をあびたとき溢れ出たのは、神様への感謝だったからです。改めて貴重な経験をしたと思っています。
4月になり新しく参加してくださる方が増えてきました。
気功で免疫力を高め、楽しく健康維持に努めていただければ嬉しいです。
皆様のご参加お待ちしています。
今回は前回に続く、熊野古道の旅行記になります。
当日は、天気予報通り雨でした。風はないものの本降りの雨で、不安を感じながらも、レインコートや防寒対策をして、那智勝浦駅から那智山にバスで向かいました。
ツアーの待ち合わせ場所の那智山に向かうと、雨はさらに強くなっていましたが、ツアーは催行してくださるとのこと、私も娘も腹をくくりました。
今回のツアーは、普段は入ることのできない聖域へ入るため、熊野那智大社の拝殿で巫女の舞を見た後に正式参拝を受けてから入山し、四十八滝の内「二の滝」「三の滝」を巡るというものでした。
かなり強い雨が降る中、25名ほどのツアー参加者が列を成して山中を進むのですが、沢まで降りる時は大きな岩やロープをつかみながら、一歩間違えれば谷底に落ちそうなほど細い道なき道を進みます。
更に大変だったのは「二の滝」までの道中、連日の雨で、ごろごろと岩が転がる沢の水は増水してしまい、ほとんどの石は水中に隠れている状態です。
もちろん橋などはありませんから石の上に細い板を渡してくださるのですが、水量が多すぎてその板が流されてしまうので役に立ちません。
膝まで水中に浸かりながら渡らなければならない苔の生えた大きな石は、水を被ってツルツルとすべります。
5名のガイドさん達も冷たい沢に膝まで浸かって手を貸してくださいましたが、私は2度も沢を渡る途中で足が滑って転んでしまいました。
沢の水の流れは予想以上に早く、転んでも直ぐに起き上がらないと身体が冷えてしまいます。
このような沢が「二の滝」にたどり着くまでに四ヶ所あり、2月の沢の水ですからかなり冷たく、靴の中に入った水はどんどん重く感じられます。
私は途中からまるで自分が修行僧になったかのような気分になり、なぜか不思議と高揚感のようなものを感じました。
近づくにつれてゴーゴーと激しい音と共に目の前に現れたのは豪快に水しぶきを飛ばし目の前に落ちる力強い「ニの滝」でした。
「ニの滝」は真ん中が少し膨らんだ木の葉のような形であることから、〝木の葉流しの滝〟とも呼ばれ、柔らかな曲線の形状もあって、大きいながらもたおやかで、優しい印象の滝と聞いていたのですが、とんでもない‼︎
この日の「ニの滝」は真逆でした。
流れ落ちる水量の迫力に、清涼感あふれる空気、癒されるというより心身共に浄化された気分で、この感動は言葉では言い表せない程でした。
連日の雨で、滝の水量が増えていたことが、功を奏したのです。
ここまで案内してくださったガイドさんも
「こんな猛々しい二の滝は滅多に見られませんよ。」
とおっしゃっていて、冷たい沢の水に足を取られながらも頑張ってここまで来て本当によかったと思いました。
残念ながらこれ以上進むのは危険ということで「三の滝」の見学は中止と決まり、私はそれを聞いて内心ホッとしたのですが、それも束の間、大雨の中、また更に増水して流れの早くなった四ヶ所の沢を渡り、断崖の細い道を戻るのかと思うと一気に不安になりました。
だからといってここに留まるわけにはいかないので、これこそ修行だ!と自分に言い聞かせながら必死に皆んなの後に続きました。
後にわかったのですが、娘と私は「二の滝」で素晴らしい出会いをしていたようです。
今回はここまでです。
気功の動作は身体の浄化です。
自分で自分の心身を整えるこの気功に興味のある方、どうぞお気軽にご参加ください。
先日、娘と熊野古道に旅行に行きました。
「熊野古道」は、和歌山県の紀伊半島南部に位置する「熊野三山」(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)へと通じる参詣道の総称です。
その歴史や景観が評価され、世界遺産にも登録された熊野古道を、私も一度は歩いてみたいと以前から思っていました。
コースの難易度もさまざまなのですが、今回は、初めての方におすすめと聞き、那智勝浦町の「大門坂」を歩き、「那智の滝(飛瀧神社)」に詣でるコースを選択しました。那智の滝は、高さ約133メートルを誇る日本一高い滝で、日本三名瀑としても有名なので、ご存知の方もおられると思いますが、別名「一の滝」といわれています。
大滝「一の滝」を筆頭に、那智山全体には四十八の滝があり、1300年前から修験道の行者たちが千日間の滝行を行ってきました。修行僧による四十八滝を巡る滝行は今も続いています。
今回、勝浦観光協会が滝の渇水期のこの時期のみに主催されている、那智山の神域内の世界遺産「那智原始林」にある、上流の二の滝・三の滝を目指すツアーに娘と参加することにしました。
前日におよそ5時間かけて夕方に、紀伊勝浦駅に着いた私は、期待と不安が半々でした。というのも、翌日の天気予報が大雨だったのです。
前日のこの日は、曇りでしたので、深夜に関西方面から合流する娘を待つ間に、ホテルの方に教えて頂いた近くのお店でマグロ定食を頂きました。
黒潮に育てられた近海のまぐろ、この生まぐろの水揚げが日本一の勝浦でマグロを食べないわけにはいかない!と考えたことは正解でした。
炙ったマグロに新玉ねぎのポン酢和えは特に美味しく、マグロ定食にしてよかった…と一人でニンマリ。
この時はまだ、翌日のツアーが私にとって、思いもかけない修行の旅になるとは知る由もありませんでした。
これから数回にわけて、熊野古道の旅行記になりますがよろしければ、お付き合いください。
春になって何か新しいことをやってみたい、心身共にリフレッシュしたい、とお考えでしたらぜひ気功教室にご参加ください。お待ちしています。
私がこの気功に出会って9年、静岡でお伝えして5年の月日が経ちました。
自分の性格からして、親しい友人とのおしゃべりは楽しく思いますが、そうでない人と特に親しく関わろうとはせず、自ら何かの会を設定することもほとんどありませんでした。
そんな性格ですが、当時の私は、気功を通じで心と身体が健康になることを実感して、主人の故郷である静岡へのUターンを期にこの場所で開催したいと思いました。
両方の両親を見送り、子供達も自立し、ある意味恵まれた環境にいる自分がこのタイミングで社会に還元をするとしたら、ご縁のある静岡で開催するのが一番良いように思えたのも事実です。
気功の動作で自分を浄化すると共に、心性(道徳心)を向上させて初めて、功のエネルギーが強くなり身体は自然と回復してくる。
簡単に言うとこういうことなのですが、科学が証明できるものを人は信じがちですから、なかなか理解していただくのは難しいことだと思います。
この気功の特徴として気功教室でレッスン料というような、費用は頂いていません。(会場費のみ300円を頂いています)
気功にもいろいろな考え方があるとは思うのですが、この気功の李先生は
「気功治療など、病気治療をやっている気功師の所で一時的に治ったように見えても、それは今は発病しないが将来発病するように病気を先送りするか、あるいは病気を家族の誰かに転化させることしかできません。」
とおっしゃっていて、他人から施してもらう気功は治療に永続的な効果があるものではなく、自分自身が気功で修練をすることで心も体も健康になっていくという、自分が主体のものであることに私も賛同しています。
コロナ禍を経験して、より自分で健康管理する大切さはもちろん、他人やメディアの情報に流されずに自分の判断で主体的に行動することの大切さに気づかれた方も多いのではないでしょうか。
少しでも興味を持ってくださった方はどうぞ体験にいらしてください。
お待ちしています。
あけましておめでとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願い致します。
暮れに、孫が通う認可保育園がたまたまキリスト教系の保育園で、クリスマス会で〝神様からのプレゼント〟という曲を手話つきで歌うのを聴きました。
6歳の子供達が、一生懸命に練習した手話をしながら歌う、しかも純粋な眼差しで「あなたもこんな心を持っているでしょ?」と真剣に問いかけてくる姿に、見ている大人たちは心を打たれ、ハンカチで目頭を押さえるお母さんもいらっしゃいました。
「わたしは持っている 優しくする心
あなたも持っている 優しくする心
carely
神様がくれたプレゼント 優しくする心
わたしは持っている 正直な心
あなたも持っている 正直な心
honesty
神様がくれたプレゼント 正直な心
わたしは持っている 頑張る心
あなたも持っている 頑張る心
possibility
神様がくれたプレゼント 頑張る心
わたしは持っている 大切に思う心
あなたも持っている 大切に思う心
respect
神様がくれたプレゼント 大切に思う心」
子供達が大人になってもこの心を持ち続けることができれば、今の世の中に相次いで起きている争いごとは、なくなるだろうに…と考えると、私も胸が熱くなりました。
小さい頃の純粋な心が、大人になるにつれてどんどん失われ、物事に執着し、なりふり構わず自分の利益だけを追求するようになる。そうならないためにこの気功の李先生は気功を通して、心性を向上させることの大切さ、徳を積むことの重要性をお話しています。
静岡気功も6年目を迎えます。
6年も続けてこられてたのも、気功に参加すると帰りは足取りが軽くなるのよね。何か調子がよくなるみたい。と言いながら楽しくご参加くださる皆様のおかげです。
今年も、皆様と共に私自身も精進して参ります。
本年も宜しくお願い致します。
今年もあっという間に12月になりました。ご参加頂いた皆様今年もありがとうございました。
先日、静岡駅を通りかかったところ、可愛いクリスマスツリーがあり思わず写真を撮りました。
小林正観さんの「考えなくていい」の内容の中で、
『未来に自分がどこへ連れていかれるのだろう、自分はどうなるのだろうなどとは考えなくていい。
やるはめになったことをただ淡々とやる。
未来的なことを「何をどうする」と考えて一生懸命やりなさい、というのは西洋文明の考え方です。
それがいけないとは言わないけれど、それだけを信じてやってきている人は、「自分の思いどおりにならないときには、人の五倍、十倍働かなければいけない。必死にならなければいけない」というふうに教えられてきたので、必死になる。
しかし必死になると必ず死んでしまいます。必死って「必ず死ぬ」と書くのですからね。
必死になんてならなくていい。人生のテーマは、必死になることにあるのではない。
いかに喜ばれてそこに生きているかということにあるのですから。』
という言葉がありました。
この気功の李先生も正観さんと同様に、人生のテーマとして大切なのは必死になることではなく、徳を重んじて生きることだとおっしゃっています。
日本人は特に努力したりコツコツやり遂げることこそ、美徳と感じる傾向にあるように思います。
真面目な人ほど、責任感を感じ、今いる場所で頑張らないといけないと思い込み、心や体が疲弊してしまうのでしょう。
私の父は、昭和の一桁生まれの人でしたから、正に、高度成長時代の日本を支えた企業戦士でした。
ストレスを抱えて胃潰瘍になりながらも月曜日から土曜日まで終身雇用で定年まで働いていました。
そのような時代だったといえばそうですが、定年後すぐに体を壊してしまい、10年間の闘病の末亡くなりました。
本来、人を幸せにしたり、徳を重んじて生きるには、自分自身が心にも体にも余裕がある状態でないと難しいのだと思いますし、人それぞれ事情も違いますので 今置かれているところで続けるのか、踏み出すのかといった判断で悩んでおられる方も多いのではないかと思います。
私自身、気功とは、心と体豊かにするものだと感じています。
結果として物事を俯瞰的に捉えられたため、解決の糸口が見つかることが何度かありました。
今、このお教室に通ってくださる方からも、気功をした後は気持ちがいい、癒される、リフレッシュできる、というお声をいただきます。
どうぞ皆様も一度この気功に参加してみてください。
お待ちしております。
また来年も宜しくお願い致します。
10月はカメムシが大量発生し、今年は例年以上に農作物に影響が出たり、洗濯物やお家の中まで入ってきてしまい、匂いに悩まされた方も多いのではないでしょうか。
無農薬にこだわる我が家の柿は、このカメムシに刺されて熟す前に全て木から落ちてしまいました。
大量発生の原因として、温暖化が影響しているという説や、都会の光に寄ってきてしまう、夏に山で繁殖する際の餌となるスギやヒノキの実が多かったのではないかという説があるそうですが、詳しい要因についてはわかっていないそうです。
ただ、カメムシを含め、昆虫は年によって発生量に波があるそうで、顕著に多い年もあれば、少なく目立たない年もあるそうで、今年は特に大量発生している年とのことでした。
柿の被害だけではありません。
庭の栗の木から落ちたイガの中から栗を取り出すと、ほとんど虫食いです。丸々とした大きな栗にも針の穴ほどの小さい穴を見つけ、どれほどガッカリしたことか。
その中で今年、唯一収穫できたのが庭の銀杏です。
去年は殆ど落ちなかったのに今年はたくさんの銀杏を落としてくれました。
銀杏のお世話は大変でしたが、綺麗にした後干して皆さんに差し上げることができて嬉しかったです。
自然の恵みに感謝です。
そこで思い出したのが、昔、子供に読み聞かせをした『どんぐりかいぎ』という絵本です。
この絵本はどんぐりの木の視点で描かれています。
以下あらすじです。
どんぐりの木がたくさん実を落とすと、森のどうぶつたちは食べたあと残った実を地面に穴を掘ってかくします。
冬の間は、このどんぐりを掘り出して食べるのですが、その食べ残しが春になると地面から芽を出します。
昔々、森のどんぐりの木たちは、実をどうぶつたちに食べつくされて大弱り。
芽を出すために「どうしたらあとつぎの子どもの木を育てることができるだろうか」と会議を開き、初めはどんぐりの実を増やせば良いと考えたくさん落とします。
ですが逆にどうぶつがたくさん増えてしまいました。翌年、どんぐりたちは力尽き、少ししかどんぐりを落とせなかったのですが、それによってどうぶつの数も減り、春にはどんぐりの芽がでた、という「なりどし」「ふなりどし」のお話です。
長い歴史のなかで育まれたこの持ちつ持たれつの生物多様性が、今、人間の経済活動による自然環境の悪化によって、急速に破壊されています。
人が熊に襲われるニュースが連日のように流れます。
熊だけでなく猪や鹿や猿の被害も多く聞きます。
我が家も実際、猪の親子に庭を荒らされたことがあります。
今回も主人と虫喰いの栗を拾いながら、冗談混じりで「熊でも降りて来たら大変だから全部拾いましょう。」と話しました。
便利な世の中ですが、それに甘んじることなく自然や健康に感謝し自分達が地球の中で生かされていることに目を向けていかなければならないのだと思います。
最近、新橋教室や横浜教室にも免疫力を高めたいという目的を持って来られる方が増えています。
この気功の李先生の言葉です。
「気は何ものでもなく身体を浄化するときに用いる一種の功法にすぎません。気を練る目的は身体を浄化するためです。
自分自身が気功で身体を鍛え病気を治すのがいちばん良いのです。」
多くの方のご参加、心よりお待ちしております。
先日、関西に住む孫のダンスの発表会行きました。
お昼頃に終わり、予定のある孫達とはそこでお別れし目的は達成したものの、せっかく関西に来たのだから、1人で観光して帰ったら?との娘の助言もあり、そのまま1人きままに京都、伏見の醍醐寺へ向かうことにしました。
今まで私は1人旅をしたことがなく、旅行といえば主人や子供、友人と一緒でした。
三宝院本堂には、快慶作の弥勒菩薩坐像が祀られています。
弥勒菩薩と言えば、私は京都太秦にある広隆寺の弥勒菩薩、もの憂げな表情が美しい半跏思惟像を思い出します。
慈愛に満ち溢れた優しい表情は半跏思惟像の特徴です。
奈良時代までは瞑想にふける姿を表した思惟像が造られ、平安時代以降になると坐像や立像が造られるようになったそうです。
鎌倉時代に造られた醍醐寺三宝院本堂の弥勒菩薩坐像は優雅で穏やかな印象でした。
豊臣秀吉が自ら指揮して造られた三宝院庭園は綺麗に整えられていて、桜の時期はさぞ素晴らしいことと思いながら眺めていると、館内の方から伽藍に薬師如来が祀られていることを聞き、閉館時間が迫る中、急いで伽藍に向かいました。
伽藍に着いたものの迷っている間もない私は、通りがかりの若いお坊様に、薬師如来はどちらにいらっしゃいますか?とお聞きすると、金堂に案内してくださり、
「真ん中に人々を病気や災難から救う薬師如来、その両脇に月光菩薩、日光菩薩、その脇には四天王が祀られています。
薬師如来は左手に薬の壺を持っています。」
と教えてくださいました。
私はお坊様にお礼を言ってじっくりと金堂の中を拝観して、そこを離れました。
先程私に説明してくださった若いお坊様は、金堂の扉を閉めにいらしたお坊様で、私が帰るまで待っていてくださったようでした。
行きに醍醐の駅に着いてロッカーの場所もタクシー乗り場も探せない私に、「お姉さん、足、丈夫そうやし、このどんつきの左側の階段を上って団地と団地の間の道を行かはったら醍醐寺にすぐ着きます。」と関西のノリで励ましてくださったご婦人、また偶然にも特別拝観だったことなどなど今回は偶然が重なる面白い旅でした。
ホテルに戻ってすぐに買ってきた京風のお弁当をいただき、その後ゆっくりとお風呂に入りました。
主人や子供と一緒だと夕食も何処かに食べに行くだのお風呂も順番、一人旅の魅力はホテルに戻ってからが一際大きいのかも…と気づき、寝る前に気功もして充実した一日に満足でした。
気の働きはなんと言っても身体の浄化です。
どうぞ静岡気功に参加して、気功の気持ちよさを体験してみてください。
今年のお盆休みにも孫たちが来て、近くの川へ遊びに行きました。
大型台風接近の前だったので、泳ぐことはできたのですが、以前からの雨続きで川の色はずいぶん濁っていました。
この川は主人が子供の頃には、深さが2メートルを超えて、大きな岩から飛び込みを楽しんでいたそうですが、娘達が小さい頃には、飛び込み禁止の札が貼られていて、今年になるとその札も見当たらず、それもそのはず、川が深いところで大人の太ももぐらいになってしまっていたのです。
でも孫達は両腕に浮輪をつけて楽しそうに泳いでいました。
親子3代で泳ぐ川が近くにあるのはとても恵まれていますが、同じ場所でも少しずつ自然の変化も感じました。この自然は残されていくのだろうか…環境問題は特に切実な問題に感じられます。
また今、大きな変革が起きているこの世の中でこの子たちの将来はどうなっていくのだろう。と考えてしまいます。
「人が正しいと思っていることは必ずしも正しいとは限りません。子供を教育する際に、将来社会でやっていけるように、大人はよく子供がまだ小さい時から「利口になるように」と教えています。「利口になる」というのは、われわれのこの宇宙から見ればすでに間違っています。われわれは、自然に任せ、個人の利益を重く見ないようにと言っています。「利口になる」というのはほかでもなく個人の利益を得ようとするためです。小さい時からこのような教育を受けてきた子供は、常人社会で利己心が次第に大きくなり、得をすることばかり覚えてしまい、それによって徳を失うことになるでしょう。」
気功の本に書かれているこの文章を読んで私は納得しましたが、ノーベル生理学医学賞を受賞された大村智先生が先生の書かれた本の中で
「私は学校での成績はあまり重視する必要はないと思っています。学生時代に成績が良かった人というのは、往々にしてテストで点を何点取るということにこだわりますから、点数稼ぎのために仕事をするようになります。それよりも学生時代には、良き書物、良き友人、良き趣味、良き師を得る努力をするべきです。これらは、この上ない人生の宝となり、必ず、社会にでてからの本当の勝負に役立ちます。」
長年教鞭を執られ、現在88歳でまだ研究者として現役でいらっしゃる大村先生ですが、教育者としての立場で「人をつくる言葉」として書いていらっしゃいますが、李先生の言葉と近いものがあるように思いました。
依然として暑い日がつづきますが、9月も爽やか気功体操静岡は、月に3回、アイセル21で行います。
夏バテ気味で体調が優れない方も多い時期です。
ゆったりとした動きのこの気功で免疫力を高め、心身を整えていきませんか。
初めての方も是非ご参加ください。
7月23日、楽しみにしていた安倍川の花火大会があり、特に最初の15分は、東京ディズニーリゾート40周年を記念した約700機のドローンショーが行われるということで、これを一目見ようとする若者も含め大勢の人が安倍川に集まりました。
私も主人と一緒に途中に車を停めて、40分ほど歩いて向かいました。
そもそも、70年前の第1回というのは、昭和28年8月、「第1回東海花火大会」という名称で、戦後復興の願いを込め、昭和20年6月の静岡大空襲で約2千人が亡くなった鎮魂の意味が込められていたそうです。
今回主人と2人で平和のありがたみを噛みしめながら、ゆっくりと花火を楽しみました。
安倍川の花火大会は、市内の一部地域(駒形・新通・田町・長田北・長田東の5学区)が企画運営する民間主導の大会だそうです。
50万人規模で民間の主体の花火大会というのは、全国的にも大変珍しいといいます。コロナ禍による地域経済への打撃や物価高騰の影響で、全国的には、開催に必要な寄付金が集まらないと中止になる大会も多い中、素晴らしい花火やドローンショーまで見ることができて、大変ありがたいです。
後で知ったのですが、今年は特に55万人の来場者があったそうです。
また、花火終了直後から実行委員会の方々が一斉に片付け・清掃を始め、翌朝も未明か掃除、6時ごろから地元企業やご家族のボランティアの方々が暑い中清掃に汗を流す様子を翌日のテレビで見ました。
清掃業者の方々に委託するのではなく、来年から開催できなくなると困るからと、ボランティアで猛暑の中綺麗にしてくださっている、陰で支えてくださる市民の方々の存在を知りました。
静岡で暮らし始めて気づくのは、気功に参加される皆さんはもちろん、自宅の近所の方々や、趣味の家庭菜園を教えてくださる方、今年は特に日照り続きで、少し家を空けている間に我が家のトマト、ナス、きゅうりが枯れてしまっているのを見て、家でいっぱい採れたからと言って野菜をお裾分けしてくださいました。
地域の皆さんがとても親切で温かいです。
これからもこの気功を皆様と一緒に続けさせていただけるのは幸せなことと思っております。
自分で自分の身体を浄化し、免疫力を高めて心身共の健康を目指す気功です。
皆様のご参加心よりお待ちしています。
先日、娘から、3年ぶりに地域の夏祭りが開催されると聞いて、娘達が幼稚園の時に着た浴衣をぜひ孫達に夏祭りで着てもらおうと思い、衣装ケースから出してきました。
鮮やかな紺の浴衣を見ると、幼稚園の盆踊り大会に笑顔で参加していた当時の上の娘を昨日のように思い出し、懐かしい気持ちでいっぱいになりました。
懐かしい思い出と同時に、この3年間もどかしい思いをしてきた子供達のことを思うと胸が締め付けられます。
この夏は、1人でも多くの子供達が楽しい思い出をたくさん作ることを心から願っています。
梅雨の中休みのタイミングで30度以上の日が続き、息苦しさを感じてマスクを外してみたものの、なぜか誰も見ていないのにそわそわした違和感を感じる自分も含め、コロナ禍の生活は私達にいろいろな影響を及ぼしていることに気がつきました。
自粛による運動不足で特に高齢者を中心に足腰が弱ってしまった、若い方も病院に行くほどではないが疲れやすさを感じている、などの話をよく聞きます。
【爽やか気功体操静岡】は2時間の時間を設けている為、運動に自信がなかったり身体に不安がある方は、始め躊躇されるかもしれませんが、全く心配はいりません。
動作はとても簡単で、途中に瞑想の時間、最後にお茶タイムがあり質問も自由です。
自分で自分の身体と心を整えるのがこの気功の特徴です。
ご自身のペースで、椅子に座って参加される方や、動きを制限されて取り組まれている方もおられます。
一つ一つの動作は簡単でも、その動作の中に深い意味があります。
中には動作を始めるとすぐに身体にエネルギーを感じる方もいらっしゃいます。
そして免疫力が高まり、基礎代謝が上がると心が自然と明るくなるのを感じていただけます。
体力などに不安があって迷っておられる方もぜひご参加ください。
お待ちしております。
、
先日、合唱バトルというテレビ番組で、約20名の超一流と言われるアスリート達がアテネオリンピックのテーマソング、「栄光の架橋」を歌うのを見ました。
バックスクリーンには当時の彼らの活躍するシーンが映し出され、観客も涙、涙、彼らの一生懸命に歌う表情に偽りはなく、歌の歌詞とも重なって会場は感動の渦に巻き込まれました。
私もこの栄冠を手にするために彼らはどれだけの努力をしたのだろうか。
と思った途端に、目頭が熱くなりました。
そして、その時頭に浮かんだのは、今年の1月にこの気功の李先生がアメリカの新聞に発表された『なぜ人類は存在するのか』
の中にある一節、
「人生の奮闘、必死の頑張り、手段を選ばず獲得したものは、人を劣悪にするだけです。」
という文章でした。
アスリートの合唱に感動した私は、この一節にかぎっては日本人にあまりあてはまらないかもしれない。と思いました。
日常茶飯でドーピングが行われているような国もありますし、日本とは、置かれている状況が違う国がたくさんあります。
私が、この恵まれた日本でこの気功をさせていただけるのは、本当にありがたいことなんだ。と気づきました。
現在の心境は、この気功に出会えて幸せ!と言うよりは、助かった、手遅れにならなくてよかったな、という気持ちに近いのです。
もし出会っていなかったら、他者と自分を比べたり、色々なことに執着し、へとへとになったあげく僅かな徳も失っていたかもしれません。
それこそ、この気功に出会わなかったら「徳を積む生き方が大切!」なんて全く気づくことはなかったでしょう。
心が軽くなったのを実感した今は、皆様にもそれをお伝えできればと思います。
この気功が、この恵まれた日本で皆様と楽しくできるということのありがたさを感じて、これからも静岡気功教室を進めてまいりたいと思います。
皆様のご参加をお待ちしております。
今年90歳になられたカトリックのシスターの鈴木秀子先生は、作家でありまた日本にエニアグラムを紹介された方としても有名です。
私は先生の書かれた文章はいつも親近感を持って拝読しています。
先月、鈴木先生が雑誌に投稿された文章もまた心に響いたので紹介させていただきます。
「私も今年90歳を迎え、シスターとして50年以上、本当にたくさんの方の話を伺ってきました。そして今心から思うのは、「心穏やかに機嫌よく」生きることの大切さです。自分を飾らず、何かにとらわれてイラつくこともなく、いつも自然体でいる。そういう人には何かあっても誰かが助けの手を差し伸べてくれ、大抵のことはうまくいくのです。人は思い通りにいかないことがあると、「なぜあなたはこんなこともできないの」と責めてくる“理想の自分”(頭)と、「でもしょうがなかったのよ」と言い訳をする“本音の自分”(心)がけんかを始めます。
ついには「全部あの人のせいだ」と責任転嫁を始め、人間関係も悪化してしまいます。
頭と心のけんかが始まったら、まず水を1杯飲んで冷静になって、「自分は今こう思っているんだな」と、双方の話を否定せずによく聞きます。その後は、大股で歩いたり体操をしたり、普段開けない戸棚を開けて風通しをよくしたり、体を大きく動かしましょう。
人を支えているのは、頭と心と「体」ですから、体を動かすことで無心になり、強制的にけんかをストップさせられるのです。まず自分に寄り添う習慣かを身につけていけば、自分の機嫌も取れるようになってきます。」
この気功にも鈴木先生のお話しと通じるものがあるように思います。
気功をしていると身体がホカホカしてそれと同時に呼吸も深まり感情のコントロールもできる気がします。
正に、頭と心と身体が元気になる感じです。
「またシスターという立場から、“看取り”のお願いを受けることもあります。以前沖縄の病院で、まだ30代くらいの女性の臨終に立ち会いました。病室には、意識がもうろうとした女性を囲むように、5人の子どもとご主人が立っていました。
子どもの一人はまだ抱っこの赤ちゃんです。女性は声にならない声で、一人一人子どもと夫の名前を呼び、「ありがとう」とほほえみかけ、静かに亡くなりました。家族にとって、どれだけこの若いお母さんが大切で、必要だったことか。
しかしどんな最新の医療設備も立派な医師でも、このお母さんを救えず、その命を再びつくり出すことはできないのです。こうした経験をするたび、人はただ生きているだけで尊く、命はかけがえのないものだと痛感します。
人は、周囲よりよい地位につくことや、経済的に恵まれることに重きを置きがちです。それゆえ自分を他者と比較して、悩みや苦しみが生じます。そんな方こそぜひ、『今ただ生きていること』の恵みを感じてください。方法は簡単です。
寝る前に最低3つは、「当たり前と思うことに感謝」してみてください。「ごはんがおいしく食べられた」「手足がきちんと動いた」など何でもいいのです。年齢を重ねれば、気力も体力も衰えます。だからこそ、できなかったことを嘆くのではなく、今日できたことを喜びましょう。」
私がこの気功を学びながら最近強く感じることがあります。
それは年齢のせいも確かにあると思うのですが、地位も名誉もどうでもいいし、お金もそこそこあればいい。大切なのは徳を積んで心性を向上させることなのかもしれない…と。
そうすると鈴木先生のおっしゃる「当たり前と思うことに感謝」が心の底からできる気がします。
4月に入り、お問合せをいただく件数が増えました。
どうぞ、いつでもご自分のタイミングでお気軽にアイセル三階の爽やか気功体操にいらしてください。
皆様のご参加お待ちしています。
先日、NHKのギョギョッとスターという番組で、甲本ヒロトさんとサカナくんの対談があり 興味深い内容だったので、以下、一部を紹介します。
僕(甲本さん)は、小さい頃、そんなにいい子ではなかったと思うんだよね。お勉強や運動ができたわけでもない。好き嫌いも多くて、ダメな子だったかもしれない。だけど中学一年生のときに、ある音楽に感動したんです。それまで僕は“静かな水面”だった。そこにボチャンと何かが落ちてきたんです。
それが僕にとっては音楽、ロックだった。そのボチャンと落ちてきた“波紋”が今に繋がっているんです。今、好きなものがなくてつまらないと思っている子がいても、それはただの水面なだけ。そこに何かがボチャンと落ちてくれば自然と体は動く。大事なのは衝撃から生まれる波紋です。
波紋っていうのは衝撃を受けた人はどうしようもできないんです。だって、水は自分からは動かないわけで、波紋をおこそうと思ってはいないよね。でもボチャンと衝撃がおきるから、波紋がおきちゃうんです。しかも、おこそうとするのではなく、おきてしまうのが大事。
何かが始まるかもしれないし、もう始まっている子もいるかもしれない。そこに素直に反応すればいいんじゃないかと、僕はさかなクンを見て思いました。最初にタコの絵を見たときの驚きがボチャン! で、その波紋で今になったとしたら、素晴らしいと思うから。
もしかしたら、いま好きなものがないと不安に感じる人がいるかもしれないけど、それは、そんな必要はなくて。好きなものは一生懸命見つけようとするのではなくて、自然にぶつかっちゃうものなんですよ、事故みたいに。
衝撃がもし来なかったとしてもそれはまったく不幸じゃなくて、それはそれでいいんです。ただ、たまたまそういう衝撃を受けたのなら、その波紋は止めないほうがいいのかな、と僕は思います。もちろん勉強が大好きという衝撃でもいいし、何でもいい。感動すれば、人間はもうそれには逆らえないからね。
この発言は、甲本さんは番組を見ている魚や昆虫が好きなお子さんに向けて発せられたとは思うのですが、お子さんに限った話ではないのかなと思います。
私が8年前にたまたま、家から近いからという理由でこの気功に娘と一緒に参加し、それが甲本さんのいう衝撃で、それが波紋となってこの気功を続け、もともと何かを主導するようなアグレッシブな性格ではなかったのですが、今の「爽やか気功体操静岡」に繋がって自身のライフワークになっていると考えると、この話は自分にも重なりました。
私がこの気功を始めたのも、暖かくなってきた頃でした。何か新しいことを始めてみたい方、少しでも気功に興味のある方は一度いらしてみて下さい。不思議な出会いを感じるかもしれません。
先日、お友達からお孫さんの素敵な話を聞きました。
園長先生が、もうすぐ卒園する園児たち一人一人に、「あなたが1番守りたい大切なもの(人)は何ですか?」
質問されたそうです。
1番大切と言う言葉に、大方の子供たちはママとかパパと言う子が多かったようです。
その時、友達のお孫さんは、園長先生に向かって2人言ってもいいですか?と聞いたそうです。園長先生は、パパとママの両方で迷っているのかなと思い、いいですよ。とおっしゃいました。
すると、彼女は私には双子の弟がいます。パパとママは大人だから自分で自分の事は守れます。だけど、双子の弟は私が守らないといけないんです。
とはっきり言ったそうです。
彼女には、同じ幼稚園の年少のクラスに通う双子の弟がいるのです。
年少クラスの双子の弟はお姉ちゃんの言葉の意味を、理解はできなかったとのことでしたが、お姉ちゃんの気持ちは、日々感じとって過ごしていることでしょう。
6歳、この純粋で美しい心が、これから大きくなって、競争社会の中に巻き込まれると、変わっていってしまうのかもしれません。
私は、小さな子供たちには、この気功の李先生が今年の1月にアメリカの新聞に掲載された
「人は、この世での生活の貧富にかかわらず、必ず良いことをし、悪いことをせず、善良さを保ち、神を敬い、天を敬い、喜んで人を助けることです。」
という言葉を伝えたいです。
一方、自分も含め社会を生きる大人には
「苦痛と矛盾の中で、人が善良さを保つことができれば、功徳を積むことができるのです。」
とお伝えしたいです。
今年に入り、気功に興味を持って、この気功教室に参加してくださる方が増えてきました。
簡単な五式の動作と共に心の向上に努めて、ストレス解消、免疫力を上げていきます。
興味のある方はぜひ一度いらしてください。お待ちしています。
1月は新しい習い事を始めようかと思う方が多くいらっしゃるようで、ひと月に3回開催している静岡の気功教室ですが、毎回新しい方の参加がありました。
興味がある方は是非いらしてください。
去年の暮れのニュース記事です。
伊丹市役所(兵庫県伊丹市)を訪れた高齢の男性が、子育て支援課の窓口にポリ袋を差し出した。
中には、厚さ10センチになる帯付きの現金1千万円。
慌てふためく職員に男性は告げた。
「就学前の子供のために使ってほしい」と職員にレジ袋に入れた1,000万円を手渡した。
寄付金は未就学児の子育て支援に使って欲しいという79歳の古田さんだが、そこにはある思いがあった。
5人兄弟の次男で、終戦直後は家族7人で食べることにも苦労。
当時は手に職をつけると食いはぐれがないと、中学を卒業するとみんな職人になったという。
そして、理髪店での仕事の間、古田さんをなごませてくれたのが店の窓から見える子供達だった。
市長から感謝状を授与された古田さんは、
「深いことは考えていませんけど、ちょっとくらい役にたったらと思って」
「嬉しいというか楽しいというか、物をもらうよりもいろんなものに喜んでもらうほうがね…」と、率直な胸の内を語っていた。
この気功の創始者である李先生が2023年1月22日にアメリカの新聞に掲載した『なぜ人類は存在するのか』の中で
「この世の人生は社会的な成就のためではないということです。人生の奮闘、必死の頑張り、手段を選ばず獲得したものは、人を劣悪にするだけです。
世に降りて人になったのは罪業を消すためで、自らを良く修めるのが目的です。」
李先生の文章と古田さんの記事を読んで、いろいろと考えさせられました。
人間が努力することは大切なことだと思いますし、そうして得た報酬からわかりやすいものでいえば、住宅、高級車、ブランド品は社会的な成功の象徴として見られやすいと思います。
でも、古田さんが理容師として60年間頑張ってこられて、貯めてきた大切なお金をこのような使い方をされたこと、お金は使い方次第で、人を幸せにも不幸にもするし、社会的な成功がすごくちっぽけなものに感じて、腑に落ちた気がしました。
皆様のご参加お待ちしてます。
あけましておめでとうございます。
爽やか気功体操静岡も5年目を迎えることができました。
今年もよろしくお願い致します。
暮れの話しになりますが、お墓参りに行くと、掲示板に
「情熱がなければ人は動かぬ。
情熱が事を成し遂げる」
と書いてありました。
なるほど、そうかぁ…と思い、掲示板を写真で撮って帰りました。
翌日、美容院へ行くと、いつもの美容師さんが私に、
「自分はお客様に対して、髪を切らせていただきます。と言うとテンションが上がらないんですよ。
逆に、自分の持っている技術で最高に仕上げて見せます。とまでは言わなくても、思うだけでテンションが上がっていい仕事ができるんです。」
突然、美容師さんからこんなことを言われ、なんだか昨日のお墓の掲示板とリンクする所があるような気がしました。
すると、これも不思議なのですが、その晩、たまたま知人から送られてきた斉藤ひとりさんの動画で
「自分がいいと思ったことを積極的に人に伝えないのは無関心という大きな罪なんだよ。
いいと思ったら次、次、次って伝えるよね。
これで助かった!というものを、人に薦めないって無関心でしょ。」
と言うではありませんか。
私はこの気功の良さを、歳を重ねるごとに強く感じていますので、お伝えしたい気持ちはあります。
とは言っても、私の性格上、情熱を持ってお話しするのは無理なので、これからも和やかで楽しくお伝えできれば良いと考えています。
爽やか気功体操静岡は今まで通り、ひと月に3回(土曜日の午後、日曜日の午後、日曜日の午前)行います。
この気功は身体の免疫力だけでなく、心の免疫力もアップさせ、冷え症緩和、ストレスや不眠の解消、健康維持などにお薦めです。
皆様のご参加お待ちしております。
今年も最後の月となり、『爽やか気功体操静岡』の開始から丸4年たちます。
当初は、主人の静岡へのUターンをきっかけに、何かに突き動かされるような気持ちで始めましたが、その間に思いもかけない、世の中にコロナが蔓延して混沌とした情勢となり、今まで経験したことのない事態に手探りの状態でした。
そのような中でも、4年目を迎え、自分で感じた気功の効果や体験談を話してくださる方も徐々に増えて、嬉しく思います。
ご参加いただいた皆様ありがとうございました。
先日、久しぶりに学生時代からの友人4人で集まりました。
この歳になると、健康面の話題や子供や孫の話、断捨離、終活など話は多岐に及びます。
その中に、数日後に簡単な手術を控えている友人がいて、「断捨離をしていると突然、あっ、自分はこんなことに執着を持っていたんだ、と気付いてハッとする」と言い、皆が同意しました。
気功の本の中にもこう書いてあります。
「人間は若い頃には執着心が多く、もてあまします。
しかし年をとり、月日が経つにつれて前途に希望がなくなるので、その執着心もおのずと放棄するようになりすり減って無くなってしまうものです。
しかし、彼らは自分の常人としての執着心がかなり長く苦しい年月の中で少しずつ削りとられたに過ぎないこと、それが次第に削り取られたことによって初めて功が伸びたのだ、ということがわかりません。」
もし、執着心を取り除くと功が伸びる。とわかっていたらどうでしょう。
わかっていたら誰もが自ら努力して執着心を取り除こうとするはずです。
そしてさらに、執着心を取り除いた結果、徳を得るとしたら。
確かにこの年になると、若い頃のように出世や見栄や虚栄心みたいなものはなくなり、自身の持っている執着とも少しずつ折り合いをつけているつもりでしたが、ふとした時にまだまだ執着を持っていると気付かされます。
来年も皆様と一緒に精進していきたいです。
来年も毎月3回、土曜日の午後、日曜日の午前、日曜日の午後、いずれも違う日に開催させていただく予定でおります。
世界、80カ国以上で行われているこの気功、特に激しい動きはありませんので、気功に興味がある方、免疫力を高めたい方、ご都合の良い日に気軽にお教室をのぞいてみてください。
先日、母の7回忌がありました。
以前からお願いしているお坊さまはお若いのですが、仏教について無知な私にもわかりやすくお話をしてくださるので、いつも聞き入ってしまいます。
今回も、
「お墓にもお仏壇にも亡くなった方はいません。皆さんの心の中に仏様となって見守っていてくださるので、家にお仏壇がないと絶対にいけないということではありません。」
更に、仏教にまつわる説法もしてくださった後、最後に
「何かご質問はありますか?」
と聞かれました。
弟が
「人が生まれ変わるという事はあるのですか?」と質問をしました。
するとお坊さまが
「人間は亡くなるとすぐに阿弥陀如来の元へ行きます。なので輪廻天昇と言う生まれ変わりはありません。」
とおっしゃいました。
私はその時
「何の修行もしなくても、誰でも亡くなった人は阿弥陀如来の元へ行けるのですか?仏になれるのですか?」
と聞き直しました。答えはその通りだそうです。
私は日ごろから弟に、自分は動物や石に生まれ変わりたくないから悪いことをしないように努力している。と話していたので、弟は私の顔を見てニヤッとしました。
そう言えば学生の時、キリスト教の聖書の授業があり、そこで先生は「人は亡くなると神の身元へ行きます。」とおっしゃっていたような気もします。
とは言え、クリスチャンの先生方は常に聖書を携帯して善行に励んでいらっしゃいました。
六道輪廻で調べてみると
『行いによってどの世界に生まれ変わるかという考え方』
と書かれています。
『人間の身体を得るのに何百年でも足らず千年以上かかってやっと人間の身体を得るのに、人間の身体を得れば、それを大事にすることを知らないのです。
もし岩に生まれ変わったら何年たっても出られません。
その岩が砕けない限り、風化しない限り、永遠に人はでてこられません。』
という、ぞっとするような話を聞いたこともあります。
いずれにせよ、悪事ばかり働いた者が、簡単に阿弥陀如来の元へ行けるとは思わないので、これからも自分の道徳心だけは高めるように努力していこうと思います。
日増しに寒さが厳しくなってまいります。
不眠や冷え性でお悩みの方、免疫力を高めたい方、どうぞお気軽にご参加ください。
お待ちしています。
先日の記録的な台風15号から1週間が経ちましたが、復旧が遅れ各地に未だ爪痕を残しています。
広範囲な断水で大変だった清水区にお住まいの方も今日の気功教室へ来てくださり、いろいろとお聞きすることができました。
コインランドリーも温泉もどこもいっぱいで、温泉は焼津の方まで行かれたそうですが、昨日からは水も出るようになったそうで、少しずつ復旧に向かっている方もおられることがわかり、皆で安堵致しました。少しずつ状況が回復し、落ち着かれましたら『爽やか気功体操静岡』へどうぞお越しください。
心よりお待ちしております。
少し前の話になりますが、駿府博物館にて開催された絵本作家、柴田ケイコさんの「パンどろぼう」展を見に行きました。
たまたま、孫と近くを通った際にポスターを見かけ、こんがり焼けたキツネ色の美味しそうなパンと泥棒!?の取り合わせに惹きつけられ、早速本を購入して、原画の展示を楽しみました。
以下、本の詳細や核心に触れる内容が、あります。
パンどろぼうは、パン泥棒を生業としていて、ある日、森の中で「せかいいちおいしい もりのパンや」の看板を見つけ、早速中に入り盗んだパンを家について食べると、なんと、まずかったのです。
カンカンに怒ったパン泥棒はパン屋のおじさんに文句を言いに行きます。
しかし、おじさんは「盗みはいけないよ」と優しく諭し、「美味しいパンが食べたいなら一緒に作るのはどうだろう」と提案します。
これまで世界中の美味しいパンを食べてきたパン泥棒は何日も何日も考え、自分でパンをこね、夢中でパンを作り、ついにぴかぴかに輝くふわふわしっとりもちもちの最高のパンが出来上がりました。
森のパン屋さんはお客さんで溢れ、本当に世界一美味しいパン屋さんになりました。
そして、パン泥棒は立派なパン職人になったのです。
ある日、今度は大盛況となった森のパン屋さんから、ぶどうパンが盗まれてしまいます。
格闘の末に犯人の〝にせパンどろぼう‘’を捕まえたパンどろぼうは、ニセパンどろぼうに伝えます。
パンを盗んで食べる満足より、パンを作ってみんなに喜んでもらう方がずっと幸せで充実していることがわかったから、君も一緒に作らないかと。
欲しい物をいくら手に入れても 心は満たされない。
本当に心が満たされるのは、誰かの役に立ったり、喜んでもらえた時だけだという気づきですね。そしてそれに気づいて伝えたのは、初めに盗んだことを、責めたり、頭ごなしに怒ったりしないパン屋のおじさんの優しさに触れたからだと思います。
これはこの気功でいう道徳心の向上、心性の向上にもあてはまることだと思います。
こんがりと焼けた美味しそうなパンの数々と表情豊かな憎めないキャラクターたちが登場する、ほっこりするお話です。
皆様も読んでみてください。
今年の夏は、暑さのせいで例年より蚊や蟻が少なく、我が家の無農薬の柿の木は、いつもならほとんどヘタムシにやられてしまうのに、今年は例年より元気そうです。
逆にサツマイモなど楽しみにしていたシルクスイートは、暑さのために地中で蒸されてしまったようで一部は残念な結果に。
こんな暑さと大雨の繰り返しでも、一際たくましいのは雑草達。
特にツル系の雑草はどこまで浸食してくるのかと考えると怖いくらいです。
主人はこの雑草たちに果敢に挑み、面白いことに雑草たちからもパワーをもらうみたいです。
朝早くから草刈り機をブンブン鳴らして作業をする主人は、現役時代のパソコンに向かっている時より生き生きとしています。
私はどちらかと言うと主人とは反対で、育てるより食べる方が好きで、雑草に立ち向かう気力は全くありません。
娘はこの夏、孫から手足口病が移ってしまい、発熱と痒みでしばらくうなされていたそうです。
大人がかかると子供より重症で大変だったようですが、熱が下がり、発疹がでるとスッキリして、周囲の人や健康のありがたみが、よりわかったそうです。
自分が痛みを伴って学ぶこともあるということですね。
この気功は、病気治療ではなく健康を増進するもので、参加して体と心が整い体調がよくなった。とおっしゃって頂くことはとても嬉しいです。
ですが、気功をしていたから、ずっとこの先うまくいき、いい事ばかりが起こるような虫のいい話ではありません。
生きていれば時として難題に直面し悩む事もあるでしょうし、困難を乗り越えたからこそ得られるものもあるはずです。
困難に直面した時に、感情に任せて我を失うことなく、どうしてこのようなことが起こるのか、どうしたらよいのか、その本質を見抜き、冷静に考えることは大事ですが、この気功の本にあるように
「難はまさにあなたの心性を高めるために設けられたもので、トラブルの中で向上させるためです。」
私自身がこのことに気付いた時、結果として俯瞰して物事が良い方向に進んでいると感じることが、多くなっていきました。
気功の動作をしてエネルギーを蓄え、それと同時に心も豊かにすると、結果として身体は自然と修復の効果を生み出します。と李先生も本の中でおっしゃっています。
これからも、気功を通じて心と体が、健康でいられるように、皆さんと一緒に私自身も成長していきたいと思っています。
皆様のご参加お待ちしています。
7月24日、日曜日の午後の開催という初めての試みでしたが、暑い中お集まりいただきましてありがとうございました。
皆様は、良寛和尚様はご存知でしょうか?江戸時代後期の僧侶、歌人、書家としても有名な方で、子どもたちと毬をついて遊ぶ優しい姿を連想される方もいらっしゃると思います。
良寛さまが幼い頃、近所に良寛さまを殴ったり蹴ったりしていじめるガキ大将がいました。
そのガキ大将は後に渡し舟の船頭になったのですが、良寛さまが出家して立派な和尚になって村人から尊敬されているのを疎ましく感じていました。
いつか良寛和尚が自分の舟に乗ってきたら舟から落としてやろうと密かに計画していました。
ある日、良寛和尚が1人で彼の舟に乗ってきたので、途中まで漕ぎ出したところで舟を揺らして落としました。
良寛和尚が溺れ苦しむ中、船頭はようやく良寛和尚を舟に引っ張り上げました。
水を吐きやっと呼吸ができた良寛和尚が彼に言った言葉が
「助けてくれてありがとう。
あなたは私の命の恩人です。私はこのご恩を一生忘れません。」
これを聞き先頭は
「私はこのような素晴らしい人になんてことをしてしまったんだろう。」
と悔いて心を入れ替え、真っ当な人間になったという話です。
私も良寛和尚が、自分に敵意を持って舟から落とした相手に対して、なじるわけでなく、感謝の言葉を述べたということに衝撃を受けました。
というのは、この気功の本に
「人間は実践の中で本当に自分を錬磨しない限り向上することはあり得ません。
今日、誰かがあなたの気に障るようなことを言ったとか、誰かがあなたを怒らせたとか、誰かが失礼なことをしたとか、あるいは誰かがあなたに不遜なことを言ったなど、いずれも常人の中でよく起きる状態ですが、そこであなたがどう対処するかが問題なのです。」と書かれています。
この良寛和尚の言葉こそが、その答えではないかと私には思えたからです。
実際に自分が良寛和尚のように言えるかどうかというと、今の私には無理ですが、少しずつでも気功を通じて心性を上げる努力を皆様と共にしていきたいと思います。
皆様のご参加おまちしています。
連日暑い日が続きますが皆さま如何お過ごしでしょうか。
ちょっとしたブームで賑わっている鎌倉ですが、私にとって、今はもう成人した子供たちが小学生の時、歴史の校外学習に同行したり、源氏山への遠足の付き添い、お正月には家族で鶴岡八幡宮に初詣に行くなど、とても馴染みの深い場所です。
現在放映中のNHK大河ドラマの『鎌倉殿の13人』では、小栗旬さん扮する北条義時を主人公とした鎌倉時代前期の権力争いの駆け引きが描かれています。
私は特段、歴史好きというわけでもないのですが、今回は題材がその馴染み深い鎌倉ということもあり、楽しくみております。
先日、前半戦のクライマックスともいえる、源頼朝が落馬により亡くなりました。
源頼朝は圧倒的なリーダーシップで「平家滅亡」を成し遂げ、鎌倉に幕府を開き、政治の実権を朝廷から奪って武家政権を確立したカリスマ性のある人物です。
ドラマでも、「何度も幸運に恵まれ、佐殿は天に守られています。現に何度も命を救われています。
そしてその運の強さに引かれて、多くの者が今、集まってきています。」などと言われ「天から生かされてきた男」として、徳の高さを窺い知ることができます。
ところが晩年になると頼朝は自分の身内までも信じられなくなり、仲間や兄弟までも殺めるようになると、ガラッとツキがなくなります。
自分の大切な娘を亡くし帝の入内がなくなり、弟の全成(僧侶)からは、今までのツケがまわっている…と言われて、何とかその運命にあがなおうとします。
これをドラマでは「天に見守らたお方が見放された」と言っていました。
頼朝の持っていた徳が業力に変わっていく瞬間だと私は思いました。
『徳や業力は家族の間や先祖からも蓄積されてくることがある。』といいますから、頼朝の父の義朝が東国に築いた地盤と嫡子頼朝に与えた高い身分は、後の頼朝による挙兵の成功や、鎌倉幕府成立への礎となったはずですから、父からの徳ももらい受けているといえるでしょう。
しかし、気功の本には
『人はよくないことをする時、徳を失っていきます』
だとすると、頼朝は徳を使い果たしたのではないかと…。
また本には
『心性を修練すると、同時に業力を滅してそれを徳に変えることができます。
こうしてはじめて次元を向上させることができるので、全ての人間が身体に持っている徳と業力は、表裏一体の関係をなしています。』
子孫に継承されるはずだった徳も、悪事を働けば業力に変わってしまうし、また、なんらかの業力を持っていたとしても、強い苦痛に耐えることができれば、業力は自ずと徳に変わる。ということのようです。
こんなことを考えながらドラマを見るのも結構面白いものです。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。
ゴールデンウィーク明けに、昨年退職した職場の方から手紙が届きました。
中身は、ちょうど1年前、私が20年間勤めた薬局を辞めるときに皆んなで白衣姿で撮った写真でした。
懐かしく写真を見ていると、毎回同じ質問で同じリアクションをされるユニークな患者さんのことや、コロナ渦でなかなか会えない仕事仲間のことを思い出しました。
毎年2月の終わりに静岡で収穫したスルガ甘夏を職場にダンボールで送って皆に分けて持って帰ってもらっていました。
そして今年も同じように送りました。
すると、薬局の仲間達からお礼やら近況報告のメールが届きました。
今まで自分でもきづかなかったのですが、大切に育てて収穫したスルガ甘夏を皆さんに送って喜んでるもらえることをとても幸せに感じました。
今年は、気功教室でもお裾分けし、我が家の夏蜜柑は無農薬なので皮も有効にお使いください!とお伝えすると、夏蜜柑の皮でオレンジピールを作って持ってきてくださったり、パンにレーズンとオレンジピールを入れて焼いて持ってきてくださった方がいて、思いがけないことにも感動しました。
静岡の家は、もともと義理の実家でしたし、都会育ちの私は、この場所も酸味の強いスルガ甘夏もかつては、好きではない時期がありましたが、自分でお世話をした物を美味しかった、ありがとうと言って喜んでくださる方がいるのは、自分にとって贅沢な喜びでこれでよかったのだと思っています。
さわやか気功体操静岡は、アットホームな雰囲気の教室ですので、お気軽にお越しください。
おかげさまで『爽やか気功体操静岡』に興味を持って教室へ来てくださる方が増えてきました。ご参加いただきありがとうございます。
一時期は、緊急事態宣言がでて気功教室をお休みせざるを得なくなりました。せっかく皆さんが少しずついらしてくださるようになった教室をお休みするのは、もちろん仕方のないことですが、ショックで落ち込みました。
ですが、お休みしている間に、今まで忙しくて中途半端になっていた亡き母の遺品整理などを行い、気持ちを整理したりする中で、前向きな気持ちになり、新しい換気のよい場所を次の気功の開催場所にしたいとの考えに至り、現在の開催場所であるアイセル21との出会いがあり、結果として、より多くの方に来て頂けるきっかけになったのではと感じています。
予期せぬことが起こってしまった場合、それがあまりいいことではない場合、今起こっていることを嘆くよりその中の1つでも恵まれているなと思うことに対して感謝できると、考え方がずっとポジティブになるような気がします。
これができるかできないかで、そこから起こる展開が大きく違ってくるような気がするのです。
趣味のゴルフ教室で、とてもお一人上手な方がいて、学生時代にされていたのかと思い、休憩時間にお若い頃本格的にされていたのですか?とお話ししてみたところ思わぬ答えがかえってきました。
彼女によると、20年前にご主人の赴任先のアフリカで、小さな3人の子供をゴルフ場のシッターさんにお守りしてもらいながら、ゴルフクラブも現地のキャディーさんにお任せして毎週のようにコースを回っていたそうです。
事あるごとに現地の人にお願いして、お金を払うことも日本人の役目だとも。
当時のアフリカは治安も環境も今ほど良いわけではなく、ゴルフ場一つとっても日本とは比べ物にならないくらい荒れたコースだったそうですが、家族で楽しむことで、ゴルフの腕も少し上がったと楽しそうにはなしてくださいました。
日本のようにコンビニやカフェも近くにはありませんし、ストッキングや化粧品、お菓子や衛生用品、日用品もすぐには手に入らない環境です。治安上の問題から出かける制限もあります。知り合いもほとんどおらず、便利な日本の生活に慣れている人なら、ホームシックになってしまうのが当然で、その環境での3人の子育てはとても大変だったと思うのですが、楽しそうに話す彼女からはその苦労は微塵も感じられませんでした。
多くの執着や欲にがんじがらめになっていると、たとえ些細な事でも、起きてしまった事への嘆きは大きく、現状を受け入れ、楽しむ余裕は無くなってしまうのではないでしょうか。
爽やか気功静岡では、気功を通して心性を高めて日々の執着心を手放すことを一つの目標としております。
皆様のご参加をお待ちしております。
静岡で気功を始めて3年、アイセル21で『爽やか気功体操 静岡』を開催するようになってちょうど半年が経ち、ありがたいこととに、月を追うごとに参加してくださる方が増えてきました。
「以前から気功に興味があり、やっと出会えた気がします。」
「激しい動きは苦手なのでこれくらいがいいと思って続けたいと思います。」
「自分で自分の身体を整えるというところが気に入りました。」
「手のひらに気を感じることができ、身体全体が温泉に入っているように温かくなって来て、とても心地良く感じました。」
お一人お一人の気功への感じ方も、関わり方もそれぞれだと思いますが、このようなお声をいただくと、教室を開催してよかったと感じます。
この気功を静岡で始めた3年前から来てくださっている方も、
「よくわからないけれどいい感じがするから来ています。」
とおっしゃってくださるので励みになります。
この3年、途中コロナの自粛もありましたし、社会的な情勢も変化し、各々の生活スタイルも、変化しましたが、根本的な芯の部分は変わっていないように感じています。
この気功は、一つ一つの動作の持つ意味を説明しながら毎回同じ5つの動作を行います。
連続性はなく、回ごとに参加できますので、4月になって何か身体にいいことを始めてみたい。体力に自信がない方でも、そう思ったら、どうぞ爽やか気功体操に参加してみてください。
また各々の事情でお休みされた方もまた、気功に触れたいと思いましたらいつでも再開できますので、ご参加心よりお待ちしています。
私がこの気功を始めて今年で8年になります。
日々、自分の気功が自己流になっていないかどうか、また、動作だけでなく、行動も伴っているのかどうかを振り返ってみますが、本を読んで執着を手放して、心性の向上をさせることの重要性を頭ではわかっていても、いざという時に実行できない自分をもどかしく感じます。
そんな中で思い出すのは、中学高校時代の一コマです。
私が、中学受験をして、入学した学校はたまたま中高一貫のプロテスタントの学校でした。毎朝の礼拝で賛美歌を歌い、担任の敬虔なクリスチャンの数学の若い教師も聖書の一節を読んでその内容について、朝の礼拝時に生徒に向けて真剣に語りかけてくださっていました。
ですが、生徒の多くは、礼拝中に英単語を覚えたり寝ていたり、私もその中の1人でしたので、残念なことに朝の礼拝で聞く聖書の内容も先生方のお話しも、あまり心に響きませんでした。それどころか私は、女子校には珍しい若い男性の数学の教師の靴の小指のところに穴が開いていて、そこから靴下が見えているのが可笑しくて友人とクスクスワイワイと大騒ぎしていましたが、半世紀経つ今でも先生の温かい眼差しを思い出すことがあります。
今になって思うのは、先生は聖書を理解させようとしたというよりは、聖書の価値観に伴った正しい行動をする様に諭してくださっていたのかもしれないということです。学校のモットーは〝他人のために〟でした。
私は今、この気功に1人でも多くの方に触れていただき、健康増進、ストレス解消、免疫力アップに繋げていただきたいと思います。
皆様のご参加をお待ちしています。
〜ぼくの心〜
「悪い心取って」と
お父さんにお願いする
手で胸をポン
こうやって取るんだって
それをゴミ箱に捨てるんだ
そこに良い心を入れる
悪い心は三回まで
悪い心を取ると
そこに良い心が入る
そうすると
ぼくはえらくなる
知的障害を持つ網代一法さん (現在37歳)が12歳のときに書いた詩です。
この詩を読んだとき、私はこの気功の教本の『業力の転化』のところを思い出しました。
気功の本には、「本人が辛いことに耐え自ら代償を支払い、苦痛を耐え抜くことができたら業力が徳に転化します」と書いてあります。
どんな人間も多少の差はあれ、たくさんの業力を持っています。
業力とは、人間が持つ執着心、嫉妬心、名利心はもちろんのこと、もっと具体的にいうと、職場での揉め事や、親子、兄弟、夫婦間で喧嘩をした、嘘をついてしまったなどもそうです。
さらに本には
「何かトラブルにあったとき、それはよく、人と人との間の心性の摩擦として現れますが、それに耐えることができたとき、業力は消去され徳に転化され、こうしてはじめて次元を向上させることができるので、業力と徳は表裏一体の関係をなしています。」と書かれています。
一法さんの詩の『悪い心』と『良い心』それは、私には『業力』と『徳』に思えるのです。
彼は、発達障害という言葉には言い表せないほどの多くの生きづらさを伴う大変な経験を経て、次元を向上させている。それがこの詩の最後の〝ぼくはえらくなる〟という言葉で最後、表現されているのではないかと思うと、何とも言えない感動がこみ上げてきました。
月に二回、アイセル21で気功体操をしています。
どなたでもできる簡単な動きですので、よろしければどうぞご参加ください。お待ちしています。
あけましておめでとうございます
昨年10月からアイセル21に場所を移し、月に2回の開催になりました。
昨年は、前半コロナウイルスの影響もあり開催できずもどかしい思いをした反面、後半、場所を移し開催日も増えたことで、より多くの方にご参加いただくことができました。
ご参加いただく方の中には、お仕事やご家庭の事情などで、とてもお忙しい方もいれば、現状、物事が上手くいかないと感じていらっしゃる方もおられます。
皆さんは、皆さんお一人お一人のご自身のペースで構いませんので、気功に触れてみてください。動作を行うことによって身体も心も自然と整っていくことを実感していただけたらと思っています。
李先生が本の中でおっしゃっていますが、気功は修練です。正法の中で修練することによって道徳性も高められ、真の善と悪、良いことと悪いことの分別をつけられるようになると、その結果として身体は自然と修復の効果を生み出すことになるのです。
今の世の中の善悪を見極めるのはとてもむずかしいと感じます。一見善に見えても悪であったり、その逆もあり、私自身、その見極めには、戸惑うことも多いです。
その為には、一つ一つ執着を手放し、持っているよくない考えや汚いものを捨てて自身を軽くする努力をし続けることが大切です。
すると次元が向上して真の善と悪が見えてくるということでしょうか。
今年も気功を通じて、皆様と共に私自身も成長していきたいと思っています。
本年もよろしくお願いいたします。
今年で3年目を迎えた気功体操教室ですが、コロナの影響でお休みせざるを得なかったり、10月より開催するお教室を変更したりと万事順調とは行きませんでしたが、それが返って自分がこの教室をやらせていただく意味を考える時間となり、今振り返るとありがたかったように思います。ご参加頂いた皆様どうもありがとうございました。
振り返ると、3年前の開催当初は私に余裕がなく、ただただ一生懸命5つの気功の動作を正確に皆さまにお伝えしなければという気持ちばかりが焦ってしまい、この動作さえ出来れば健康維持、向上は間違いなしのような間違った印象を皆様に与えてしまったかもしれません。
今は5つの気功の動作と一緒に、人間の内面から必然的に生み出される〝道徳心〟も高めることができてはじめて身体は自然と修復の効果を生み出します。とお伝えしています。
生命を大切にする心や他人を思いやる心,善悪の判断など小学校の道徳の時間で習ったことを思い出される方がいらっしゃるかと思いますがその通りです。
でもその道徳心を向上させずに必死になって動作だけをし続けても残念なことに効果は無い、とこの気功の李先生は常におっしゃっています。
身体と心は一つということでしょうか。
今後もこの大切なポイントを押さえながら楽しく長く、爽やか気功体操静岡を続けていきたいと思っています。来年も月に2回、一回300円の気功体操を、日頃のストレス解消や免疫力アップ、冷えの改善など、お気軽にご参加ください。
先日、「信号無視」をテーマにした夏休みの自由研究が事故防止の啓発に貢献したとして、小学校3年、山口さんに署長感謝状を贈ったという記事を読みました。
要約すると、サンプルは計約1300人。自転車のうち15%が信号を守らなかった。歩行者の信号無視は、子どもがゼロに対し、大人は約10%を占めた。
時間帯別では、無視が頻発すると予想していた朝がわずか2%だった。この日は警察官が立ち見張りをしていたためで、後日の朝に再調査した。この結果、416人中57人(14%)が信号を無視したという。「おまわりさんがいることで、気をつける人がふえる」との成果をまとめた。というものです。
研究結果の、子供ではなく実は大人が信号無視をしているところや、おまわりさんがいると皆が気をつけるという結果を読んで、考えさせられるところがありました。
実は先日、保育園児の孫と何気ない会話をしていたところ、
「ママ信号の色がわかってないみたいなの。」
と言われたのです。
ハッとして娘に確認すると、早朝、家の前の信号は人も車もいないからと、信号無視をしていたらしいのです。子供は、直接ママには気を遣って言わないけれど、よく見ています。
娘が小さい頃、園長先生が父母会で、1番の子供のお手本は、言葉がけだけではなく大人の振る舞いそのものです。とおっしゃっていたことを思い出しました。
信号無視もそうですし、お友達と仲良くしましょう、と言いながら夫婦喧嘩をしたり、約束は守らなければいけませんと言いながら子供との約束を平気で破るなど、大人が気づかずにしている行為を子供はよく見ています。
この気功の本にも
『平素から慈悲に満ちたなごやかな心を保っていれば問題が起きたときには一息おいて余裕を持って適切にその問題に対処することができるのです。
日頃いつも慈悲の心を保ち、善を持って人に接し、何かをするときにはいつも他人のことを考え問題が起きたときはいつも他人がそれに耐えられるかどうか他人を傷つける事はないかを考えていれば何の問題も起こりません。』
とあります。
交通ルールだけでなく、世の中には様々なルールが存在しています。子供には警察や、人が見てるからというのではなく、どうしてそのルールを守らないといけないのかを説明し、成長と共に他者を重んじて、慈悲の心を持って自己解決できるように、大人が率先して行動で示していきたいものです。
爽やか気功体操静岡では、月に二回土曜日と日曜日に気功を行っております。初めての方も大歓迎です。お待ちしております。
夏の暑さが過ぎ去るとともに、日常の生活も少しずつ落ち着きを取り戻したように感じます。緊急事態宣言の解除に伴い10月より『爽やか気功体操静岡』も再開いたします。
10月より会場を『アイセル21静岡市葵生涯学習センター』の3階の和室に変更することに致しました。
以前の場所より徒歩5分程の距離ですが、窓のある換気の良いお部屋で、より集中して快適に気功に取り組むことができる環境だと思いこの度決断致しました。ご参加頂く方には、お手数をお掛けいたしますが、お間違えのないよう足をお運びください。
また、以前より土曜日に参加が難しい方より、日曜日にも教室を開催して欲しいとのお声を多数頂いておりまして、私の静岡での生活も落ち着いてきたことから、10月から現行の土曜日の午後クラスに加えて、日曜日午前クラスも月1回開催することに致しました。
気功は中国で発達した心身修練の方法で、養生医学に属し、他人に施してもらうのではなく自分で心身を整えることができます。また、コロナ禍においては、外より内に意識を向ける機会が多いですので、以前より、自分と対峙し内観する時間を持つことの重要性を感じています。
この気功は、5つの穏やかな動作を覚えて、家でも行うことももちろんできますし、気功の効果というものは。触れる時間が長い程得やすいです。
そしてまた、皆で集まって行うと、エネルギーの場が高まりより集中して気功を行うこともできます。
土曜クラスも日曜クラスも内容は同じです。
両方のクラスに月に2回参加して頂いても良いですし、どちらか片方の参加でももちろん構いません。
皆様のご参加をお待ちしています。
オリンピックに続きパラリンピック、どの競技も感動を与えてくれるものばかりでしたが、たまたま見たパラリンピック馬術競技には何とも言えない感動を覚えました。
選手の障がいの軽重に応じて5段階のグレードに分かれ、競技をします。
選手が馬のパフォーマンスを引き出しながら行う演技の正確さ、美しさ、馬との一体感が採点されます。
選手達は事故や病気で四肢の一部に障がいのある人、先天性脳性麻痺のため両足に障がいのある人などさまざまですが、どの選手も馬に乗ると背筋がピンと伸びて、軽やかに馬を操るので、解説を聞かないと、どこに障がいのある選手なのかわからないほどです。
しかし実際は麻痺で震える手や足で馬に指示を与えることは難しく、手足で指示ができずに鞍のお尻を置く位置で方向を指示するなど、選手には多くの努力が必要となります。
フリースタイルでは曲調に合わせた華麗な動きが美しく大変見応えがありました。
演技が終わった直後に、どの選手もホッとした笑顔で、馬の首に倒れ込むようにして優しく馬を撫でる様子から乗り手と馬の深い愛情、その絆には計り知れないものがあると感じました。
最後の表彰式、今テレビの画面で颯爽と美しく華麗に乗りこなしていた選手のほとんどが車椅子に乗っていたり、かえ添えが必要だったり、そこで改めて選手達が障がいを持って出場していることを実感し心が熱くなりました。
そしてなんと日本人で8位入賞された宮路選手は63歳、脳梗塞で右側の麻痺に加え記憶障害もあり、試合中は奥様に進む方向の指示をもらいながらの入賞でした。
コロナの蔓延で思うように物事が進まず、少し気持ちが塞ぎ気味でしたが、同世代の私もまだまだ自分も頑張らないといけないなと活力を頂きました。
8月の【爽やか気功体操静岡】は緊急事態宣言に加え、さらにその地域が拡大された為、今回は自粛させて頂くこととなりましたが、これからも続けて参りますので、どうぞよろしくお願いいたします。
昨年、自宅からそう遠くない場所に新しい小さな道の駅を見つけました。四季を通じて地元の生産者さんの旬の新鮮なお野菜や果物をお安い価格で購入できるので楽しみに時々訪れています。
先日、お店の切り花コーナーの片隅に多肉植物が置いてあるのに気づきました。
多肉植物に以前から特段興味があったわけではありませんし、実際によく見たのは初めてだったのですが、ぷっくりとした肉厚の葉の可愛さに魅せられ、思わず1つ購入しました。
家に持ち帰って肉厚の可愛らしい葉っぱを見てるだけで何だか顔がほころびます。
その後、道の駅を訪れるたびに、もう一つ、もう一つと種類を増やし、10個程が我が家に仲間入りしました。
サボテンに代表されるような多肉植物に水をあげすぎるのはいけないだろうと思いつつ、この暑さですから、カラカラでもだめだろうと、3日に1回湿る程度に水を上げたり、日陰に置いたりしていました。
ある日気づくとどれも元気がないのです。慌ててスマホで多肉植物の育て方を検索すると、水を2週間に一回霧吹きであげましょう。というものから、1ヶ月に1回だけ、たっぷりあげましょう。など、サイトによってまちまちでどの情報が正しいのかわかりません。
そこで多肉植物の専門の栽培書を1冊購入しました。すると多肉植物は、園芸用も含めると20,000種類もあり、種類と品種により育て方が「春・秋型」「夏型」「冬型」に分けられるので、どのタイプの多肉植物なのかにより育て方や栽培方法に違いが出るので、まずは自分が育ててる種類や品種を把握しないといけないことがわかりました。
私の多肉植物の多くは、春秋型でしたので、水遣りを減らしたり、風通しを良くしたりした結果、元気を取り戻しました。今回、本を読んで多肉植物への理解が深まり、よりお世話も楽しくなりました。
『爽やか気功体操静岡』では、気功の5つの動作の前に教本を5分程度読む時間を儲けております。
これも、やみくもに動作をするだけでなく、本を読んで気功について正しい知識を学習することで、よりその後に行う気功についての理解が深まり、効果を最大限に体感できるという今までの経験に基づいていて、新橋や横浜教室でもこの方法で行っています。
もちろん、初めての方には、特に気功の動作を通して心身共に心地よさを感じていただければ十分です。
さらに本を読むことで、気功についてまた、気功を通してみる世の中の道理について、より理解が深まると感じています。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。
コロナ自粛によりおうち時間が増え、居心地の良い空間を求めて以前より部屋の片付けをする機会が増えました。使わないものを処分したり、新たな収納グッズを買ったり、書籍やTVなどで紹介されるアイデアを参考にしながら、時間を見つけては、少しずつ片付けています。
片付けで著名な方といえば、断捨離を提唱していらっしゃる、やましたひでこさんや『人生がときめく片付けの魔法』の著者の近藤麻理恵さんがいらっしゃると思います。
やましたさんは、いつか使えるのではないか、もったいないという思考は、物に対する愛着ではなく執着だから捨てなさい。
こんまりさんは、物を処分しようとする時は、ときめくかときめかないかで判断して、執着ではなく愛着のあるものだけを残すように。
と、お二人とも愛着はいいけれど物や、その物に付随する執着は手放すようにといっておられます。
私も今回、とっておいた母の遺品のお茶の道具やお花の道具に、ときめきを感じなかったので手離すことにしました。
そして、母が「菩薩ちゃん」と呼んで大切にしていた弥勒菩薩半跏思惟像、これだけは母と私の絆として大切にとっておくことにしました。
すると無駄なものを思い切って捨てて自分の部屋の空間を多くすることで、その空間が自分を癒してくれるということに気づきました。
そして自分が知らず知らずのうちに物に執着、人(亡き母)に執着をしていたために、今まで失っていた大切な物が沢山あったのかもしれないと思いました。
この気功の本にもこう書かれています。
『真の修練はすなわち人の執着心を取り除くことです。
常人の中で求めている名誉、利益、闘争心、顕示欲、嫉妬心など各種の常人の欲望各種の執着心は全て取り除かなければなりません。』
この気功は健康な体と穏やかな心、身体と心を養う中国伝統の気功修練方です。
皆さまのご参加をお待ちしています。
先日、村上一枝さんという方の記事を読みました。
要約させていただきますと、村上さんは歯医者さんですが、30年前、サハラ砂漠の観光旅行で西アフリカ・マリを訪れた際、幼い子供を亡くした母親が、日本では治る病気なのにも関わらず「神様が連れていくんだから仕方がない」と諦めている様子を見て、いてもたってもいられなくなったとのこと。
開業されていた医院を後輩に譲り、89年に単身でマリへ渡り、NGOの一員として植林や井戸水を確保し、病気予防に携わり、ボランティア団体を設立し、これまでに農村を100カ所以上訪れ、井戸を掘り、識字教室を開き、助産院の開設、マラリア予防、女性の職業支援を行いこの度、ノーベル平和賞にノミネートされたそうです。
印象深かったのが、記事の中で村上さんが、マリでの活動で大切にされていることはなにかという質問に、彼女はガマン ひたすらガマンすると答えていたところです。
現地の衛生環境を整え、彼らに施すだけでなく、彼らと信頼関係を築き、そこから、農業や裁縫などを教えて、自立させる道のりは、私の想像には到底及ばない努力、そして我慢、我慢の先の結果なのでしょう。
この気功において、真・善・忍ということばがあり教本の中でも
「一人の煉功者としては、まず殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さないで、ひたすら耐えられるようでなければなりません。でなければどうして煉功者と言えましょうか?」
とあり、忍=我慢することの大切さについて言及されています。
コロナ禍で程度に差はあれ、物事がうまくいかず日々の我慢することが多くなった今、それは個々の己の忍=我慢の修行なのかもしれません。それを政府やメディアやわかりやすい特定の人物のせいに転嫁するのは簡単です。しかし、相手を非難してもなにも産まれないし、恨みの感情は業をつくっているだけです。
ひとまず、トラブルの際には、相手のことが正しいか正しくないかを考えず、一回我慢して飲み込んでみる。案外、その先に見えてくるものもあるのかもしれません。
爽やか気功体操静岡は、回ごと自由参加ですので、初めての方も、お久しぶりの参加の方も大歓迎です。ご自身のペースに合わせていつでもいらしてください。
※趣味の家庭菜園の小松菜の中に、赤ちゃんカタツムリを発見したときの写真です。
先日、弟の手術の付き添いをする為、隣県の病院を訪れました。
私は2人兄弟で、隣県に住む弟は一人暮らしです。
コロナ以前は、両親の命日やお盆などには私の住まいの方に帰省し、交流がありましたが、コロナを境にこうした交流もなくなってしまい、普段は仕事で忙しいだろうからとこちらからも積極的な連絡もとりませんでした。
弟は弟で、こちらに迷惑がかかるからとギリギリまで我慢してしまったようです。
コロナウイルスで人と人との交流が抑えられ、思うように物事が進まず、孤独を感じたり身体の不調を感じても自分ひとりで解決しようとギリギリまで我慢してしまう方が多いのではないでしょうか。
我慢せず声をあげることも時には必要かなと思います。
心と身体のスとレッチ、【爽やか気功体操静岡】ではいつでも皆様をお待ちしています。
その病院からの帰り道、電車が急病人の発生で1時間ほど遅れました。手術の付き添いで疲れもありお腹も空いている状況です。
このような時、早く帰りたいのに巻き込まれてついてない…お腹も空いたのにどうして、と戸惑いと共に怒りや悲しみの感情が湧くこともあると思います。
でも今の私は、自分も体調が悪くなることもあるし、まぁいいか…と、あえて負の感情を抱かないようにしています。
その思いは、歳を重ねたせいでもありますが、自分としては常に〝業を造らない〟ように心がけているつもりなのです。
どういうことかというと、
『良いことをして得た徳も、自分で悪いことをして造った業も、次から次へと蓄積され、いつまでも身について存続していく』といいます。
ならば、徳を積むのはそう簡単にはできないけれど、せめて業を造らないようにしようと、何か事が起きたとき、何かに迷ったときに、なるべく業をつくらないような選択、行動をするようにしようと自分に言い聞かせています。
とは言っても一朝一夕には難しいのですが。
一つの事象でも色々な捉え方があり、これは、心に余裕があるかないかにかなり左右される気がします。
コロナ渦の今、何事も考え方ひとつで大きく状況が変わるように思いますし、先程述べた心の余裕や、ポジティブな考え方は、気功を通して徐々にですが養われてきているように思うのです。
よかったら皆様どうぞ この気功に触れてみてください。
先日、渡辺直美さんが自分の体型を揶揄されていると言う問題がありました。
渡辺直美さんのキャラクターやファッションは、チャーミングで私もファンの1人です。
ですが、この問題が出てきた背景には、日本人が行動、意見、容姿など、他の人と違う多様性を受け入れることがそもそも苦手で、その結果、人からどう見られるかを必要以上気にしてしまうことにあると思います。
海外の方が、肌の色が違っても障害を持っていてもLGBT(性的マイノリティ)であっても、胸を張って生きていきやすいようです。
それは周りがそのような人をその人の個性として捉えることが普通になっているからだと思います。
でも1つ言える事は、太っていようが痩せていようが、障害を持っていようが無かろうが、人間は死を目前にした時、地位も名誉もお金も何一つ関係ないということです。
千日回峰行をご存知でしょうか?
天台宗の修行の一つで、山中を1日48km、年間およそ120日、9年の歳月をかけ、1000日間歩き続けます。たとえ病や怪我、嵐の日であろうと、行半ばで辞めることは許されません。さらに、一切の食物、水を断ち、眠らず、横にならず、これを貫くこと9日間、堂にこもり真言を唱え続ける「四無行」に挑みます。行の最中命を落とすこともある過酷さで、あらゆる感覚が研ぎ澄まされ、線香の灰が折れて落ちる音さえも聞こえたといいます。
このような修行を成し遂げた塩沼亮潤大阿闍梨が、「修行の途中で死にかけた時に感じたことは…」という質問に「何も怖くない。ただ感謝の気持ちに全身が包まれた気がしました。」と答えていらっしゃいます。
この感謝に包まれる感じは一般の人のどれくらいの人がそう感じることができるのでしょうか。
怖い。とか死にたくないとか思うのが大半ではないでしょうか。
辛い修行を積んで執着を無くし、心性を高めた僧侶ならではの答えなのかもしれません。
皆さんもこの気功の動作とともに、教本に書かれている執着をなくして心性を高めるということに触れてみませんか。
ご参加心よりお待ちしております。
先日、心理カウンセラーの岡部明美さんと作家の上渡良平先生の対談のYouTubeを視聴する機会がありました。
お2人とも30歳代で脳梗塞という大病を患い職を失い途方に暮れたが、リハビリの末に乗り越えて、その大病が自分達にとってなくてはならない神様からの使命だと気付いた。というお話をされていました。
その内容が自分のここまで歩んできた私の人生にも当てはまる気がしたので、少し書かせていただくことにしました。
『人は生まれてくる時、一人一人〝あなたの人生でこういうことを成し遂げて欲しい〟という使命が書かれた封筒を手渡されています。
その封筒を開けるきっかけは大病という逆境に立たされた時、断崖絶壁に立たされた時です。
こういう苦しみの時に人生を恨んだり誰かを恨んだりするのか、それとも受けて立とうと思うかの問いがあり、この苦しみに立ち向かおうとスイッチが切り替わった時に自分の人生が切り開かれるのです。
困難を受けて立とうと決意した自分はもう自意識過剰の自分でなく、他人からいい人と思われたい、皆んなから認められたいというのではない肩の力の抜けた自分です。
自分の本当にやりたいと思ったことが誰かのお役に立つのであれば、だれかに貢献できれば、助かった自分の命は喜ぶであろう。というように意識が変わりました。』
このような内容でした。
ここからは私の話です。
私の場合、生まれてくる時に天から授かった封筒を開けるきっかけは、私が36歳の時に始まった父の多発性脳梗塞です。
それを受け入れられない母は精神的ストレスから立ち上がることすらできなくなり、私は実家と自分の家を往復する毎日でした。
主人も協力的でしたが、まだ下の娘が4歳だったので家に置いてはおけず連れ回す日々でした。
それから6年後に父は寝たきりとなり、その後、亡くなるまでの4年間父は病院や施設にお世話になりました。実家で一人で生活する母の精神的病もなかなか回復せず、こちらも目が離せませんでした。
私は毎日、何とか乗り越えたい、負けるものか、神様助けてという思いでした。
父が亡くなってから12年後に母は84歳で亡くなりました。
母が亡くなる3年前に私はこの気功と出会い、気功の動作をして気功の教本を読んでいるうちに、これは私の修練だということに気づき、それがわかると母に対して慈悲の心がわいてきました。
私の心が母に伝わったのか母の心の病も徐々に回復に向かい、「今まであなたにどれだけ迷惑をかけたか全部分かったわ。ありがとう。」と言ってくれるようになりました。
母を見送った後の私の残りの人生は誰かの役に立つことをしたいと思ったことがきっかけで、この気功を静岡の皆さんにお伝えしています。よろしければ一緒に気功をしませんか?
今、苦しい状況におられる方のひとつの解決の足掛かりになれましたら幸いです。
静岡への夫のUターンをきっかけに静岡でも始めることとなった気功もなんとか3年目を迎えました。ご参加いただいた皆様に心から感謝申し上げます。
3月から生活の主体を静岡に移すことにしました。
夫の定年を機にと思っていましたが長年の生活の拠点が神奈川にあり、私自身のパートの仕事や、友人や娘が近くに住んでいたり、車で2時間、新幹線で小1時間と近いこともあり、今まで静岡の主人の実家と神奈川の家を半分ずつ行ったり来たりしていたのです。
しかし、コロナウイルスにより、移動の制限などもある中、(1月はお休みとなり残念でした)静岡で腰を据えて生活をしながら気功を続けたい、という気持ちが高まり今回決意しました。
私がなぜコロナ渦のこのタイミングでこの気功を皆さんにお伝えしたいかというと、先が見通せないことへの不安から心が塞いでしまう、寝られない、などの心身の不調を訴えられる方の話をよく耳にするからです。
実際、心療内科へかかる患者さんも増えていると聞きます。
この気功は健康な体と穏やかな心、身体と心を養う中国伝統の気功修練法です。
5つの動作はシンプルで覚えやすく、高齢者にも子供にも適した自然な動きです。
覚えてしまえば家で時間のある時、毎日5分でも練習すれば、それなりの効果があります。
その効果が認められ、1992年5月に中国で伝え出されて以来、わずか十数年間で人から人へ、そして中国から全世界へと広がり、現在は世界100数カ国に1億人以上の人々がこの気功をしています。
どうぞ皆様もご一緒にやってみませんか。
ご参加お待ちしております。
あけましておめでとうございます。
【爽やか気功体操静岡】も3年目を迎えます。
今年もよろしくお願い致します。
年末は孫と過ごす楽しい時間もあったのですが、対人トラブルなどもありました。
詳細は個人的なことですのでここでは控えさせていただきますが…
一見、自己中心的で図々しい人のほうが、社会を要領良く生きているように見えます。
優しい自分は利用されてしまい、損な役回り、、、と感じてしまう、そのような悩みを持つ方は、実は多いのではないでしょうか?
そして理不尽なことをされた自分は、要領よく生きる相手に腹をたてるのですが、腹を立てても自分の心が乱されるだけで何の解決にもなりません。
この気功の教本に
『この宇宙には、〝失わないものは得られず、得ようとすれば失わなければならぬ〟と言う理があります。相手があなたに大変辛い思いをさせたので彼はひとまずは得る側だといえます。
しかしその相手があなたに与えた苦痛が大きければ大きいほど、騒ぎが大きければ大きいほどあなたの忍耐するところも大きくなり、相手の失う徳も多くなります。
それらの徳は全部そのままあなたのものになります。
しかもその時、あなたは耐え忍んでいる間、それを気にかけずに淡々と受け止めていられたかも知れません。』
という箇所があります。
このように考えると、相手が私に心性を高める機会を提供してくれたことは事実です。
これは自分の次元を向上させるチャンスだったのです。
ただ私は今回の状況を淡々と受け止められず腹を立ててしまいました。
損とか得というのは、利益や見返りなどを自分が求めているからだと気づき、まだ利益に対する執着が捨てきれない自分に気付きました。
驚いたことに、年末にお墓の掃除に行った時、お寺の掲示板に
「我が身に起こる事柄は、この私にとっては絶対必要」
と書いてありました。
今回のトラブルは私に必要なトラブルだったのです。
今年こそ、執着を薄くし心性を向上させていくように努力してまいります。
この気功は気功を通じて心と身体の健康促進をはかる心身の修練方法です。
シンプルで柔らかな気功の動きに、心を合わせ整えることによって健康増進がおのずと図られます。
多くの方にぜひ体験していただきたいと思います。
難しい動作はありませんので、初めての方もどうぞいらしてください。
本年も宜しくお願い致します。
今年2年目に入った【爽やか気功体操 静岡】ですが、ご参加いただいた皆様ありがとうございました。
6月に、緊急事態宣言が明け 再び開催しましたが、一向に収束する気配のないという事態に、教室を続けていいものか私自身も葛藤がありました。
ですが、こんな時だからこそ自分の言葉でお伝えしたいこともありましたし、自分を浄化するこの気功の必要性を感じて、マスク、換気を心がけて続けることにしました。
普通でもストレスの多い世の中で、さらにコロナのストレスが加わるのですから、普段何でもない人でも急にイライラしたり、寝つけなくなったり集中力が無くなったり、病気とまではいかない身体の不調を感じる人は多いことでしょう。
だから身体の不調が心にまで伝染する前に是非この気功を知ってほしいのです。
体内の気の滞っているところを貫通させて全身に気を回し、加えて瞑想をすることによって自分で心身のバランスを整える。
この気功を通じて、そこから
『本当に修練を積んで、心性を高め、より高い次元に昇ろうと志している人には、その結果として物事が良い方向に向かう。』
という言葉を実感していただけるようになったら嬉しい限りです。
ここ数ヶ月、静岡の教室だけでなく気功に興味を持って来てくださる方が増えています。
来年も1ヶ月に一回のペースで続けてまいりますので初めての方もどうぞお気軽にご参加下さい。
今年も残すところ2ヶ月となりました。1年があっという間に感じます。
気功を始めて丸6年が経過しました。
ただ、6年間気功を続けているというと中にはすごいと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、ずっとモチベーションを保ち続けていたわけではないのです。
特に気功を始め1、2年は、子供のこと、仕事のこと、母のことなど課題が山積みで、気持ちに余裕がなく、お休みもしました。
また恥ずかしながら、気功をしているのに何故こんなことが起きるのかしら…などと思ったことも1度や2度ではありませんでした。
何か問題に直面した時はそのことで必死なのですが、後で振り返ると、こういうことだったんだ!と納得をし、気功を改めて真剣にしたいと思い直すことが多いのです。
これは、当初の私がこの気功に求めていたのは、現世のご利益的なもので
『本当に修練を積んで、心性を高め、より高い次元に昇ろうと志している人には、その結果として物事が良い方向に向かう。』
という最も肝心なことを理解していなかったということです。
この気功の教本の中にも
「あなたが心性を向上させさえすれば必ず乗り越えられるものです。乗り越えようと思えば乗り越えることができるのです。したがって今後何かトラブルに遭遇したときはそれを偶然なことだと考えてはなりません。なぜならトラブルは突然現れるかもしれませんが、決して偶然なものではなく皆あなたの心性を高めるためのものなのです。あなたが平素から練功者として自覚してさえいればそれに正しく対処することができるでしょう。」
という文章があります。
【爽やか気功体操静岡】は回ごと自由参加ですので、お久しぶりの参加の方も大歓迎です。
ご自身のペースに合わせていつでもいらしてください。
連休に久しぶりにもうすぐ3歳の孫のリクエストで、アンパンマンミュージアムを訪れました。
アンパンマンは娘も大好きでした。
娘が3歳の時、首に風呂敷をくくりつけマント替わりにして「君の名前はお母さんていうのかい?」と私に言ってきたので、思わず吹き出してしまったのを覚えています。
保育園に通う孫もお友達が泣いているとすぐに駆けつけるそうです。
気持ちはアンパンマンですから。
娘、そして孫へ、人気は全く衰えず、それどころかアンパンマンがますます人気の理由は、困っている人を見つけると直ぐに助けに行く。お腹が空いている人にはたとえ自分がふらふらになっても自分の顔を与える。
見返りを求めず、他人のために奉仕する姿を小さな子供に最初に教えるのがアンパンマンだからかもしれません。
なのに大人になるにつれて、自分さえよければいい。と欲や執着心がどんどん膨らみます。
この気功の教本に
『気功は修練です。絶えず執着心を取り除くことこそ修練の過程の全てです。』
とあります。
私も、自分の欲や執着心を減らして同時に自分の心のレベルが向上するように努めていきたいと思っています。
ところが、言うは易し。行うは難し。なかなか思うようにはいきませんが、気功を通して、日々の生活の中で、様々な気づきや発見があることから、これからも気功を続けていくことに意味があると思っています。
今、悩みがある方や気になっていることがある方も気功を足掛かりに、案外解決の糸口が見えるかもしれません。
どうぞ気軽に体験にいらしてください。
毎年、お盆の時期になると6年前に娘と行った屋久島を思い出します。
当時、世間はスピリチュアルブーム。娘に誘わられるがまま『神秘の森の主に会いに行こう!』というキャッチフレーズに魅せられて、縄文杉までビギナーだと往復10時間程かかることも理解せず、ちょっとしたハイキングのつもりで参加してしまいました。
1日目、屋久島空港からバスで宿に着き、前日に買ったばかりのトレッキングシューズを足になじませるために近所を散歩したのですが、あまりの暑さにすぐに断念。
2日目、朝3時に起床、宿でお弁当を受け取りバスで登山口に到着したのが5時頃でした。
夏休み真っ只中ということもあり大勢の人が登山口に並んでいます。
私と娘は、3人の親子連れの方と、一人参加の女性の6人グループでガイドさんに先導していただきました。
コース前半はトロッコ道でテンポよく歩いていたのに途中から山道となり急勾配も。
とにかくガイドさんが説明してくださる屋久杉の前に立って記念撮影だけはして、あとはなりふり構わず必死に縄文杉を目指しました。
そして縄文杉を見た時は、やっと会えた!とホッとしたのを覚えています。
その後、下山しながら撮った写真をチェックしていると、娘の写真の中に屋久杉の幹に赤い光が灯ったように写っているのを発見。
すぐにガイドさんにお聞きすると「これは森の精霊ですよ。時々みられます。」
娘も私も最もテンションの上がった瞬間でした。
ちょうどこの屋久島旅行の頃に、いくつか気功を体験する機会があり、横浜気功教室でこの気功に出会いました。
そしてこの気功に出会ったことで私のスピリチュアルなブームはすっかり落ち着き、今はこの気功を専一にしています。
9月以降も、換気、消毒剤設置など感染予防対策を行いながら実施致します。ご興味のある方はどうぞふるってご参加ください。お待ちしております。
目に見えないウィルスのおかげで、失われたものは沢山ありますが、悪いことばかりでもなかったようです。
先日、職場の若い子が「コロナのおかげで今まで付き合っていた彼氏の本心がわかり、別れることにしました。前向きに次に進みます。」
と言っていました。
不要不急の外出を控えると家族や自分の大切な人と否が応でも、向き合わなければならない時間が増えました。その結果、絆が深まる場合もあれば、その逆の気づきもあったのでしょう。
気づきと言えば、現在、横浜で開催されているバンクシー展には、彼の作品を一目観ようと大勢の人が並んでいます。
今何かと話題の人だから、ということもありますが、彼の作品にはひとつ、ひとつメッセージ性があり、何を言おうとしているのか考えさせられます。
そこが彼の狙いであり、彼のいう「自分の作品でみんなの心がちょっとずつ変わっていけば嬉しいと思っている。俺のやりたいことはそれ以上でもそれ以下でもない」
とは、皆んなに真実に気づいてほしい。という願いが込められているように思います。
今までは、中国から経済支援を受けたり、中国からのなんらかの恩恵を期待する国々が、常に中国の顔色を伺う様子が見られました。
しかしコロナの後の中国との関係は少し違ってきたように思います。
中国離れと中国依存に二分される可能性があり、日本も明確なスタンスを示さなければならないところまできているのではないでしょうか。
このこともコロナが気づかせてくれた真実かもしれません。
この気功も現在120ヵ国、約1億人の人が行っています。
末法のこの世の中、偽物が蔓延しています。
末法とは仏教の末法のみならず人類社会が道徳を維持するための心の法の規制を失ったことを言うのです。
この機会に正法の気功に触れてみませんか。
皆様のご参加をお待ちしています。
気功教室(横浜)からの帰り道、通い始めて一年くらいの年配の女性が独り言のように
「子育て前にこの気功と出会っていたら、子供の育て方が変わっていたかもしれないわ。」
私がその言葉に驚いたように聞き返すと、彼女は
「この気功の本に
『妻や子供、親、兄弟などのような家族の人達の運命も含めて、他人の運命があなたの思い通りになることがありえるでしょうか。』
と書いてあるでしょ。この歳になると、その通りだと思えるのよ。」
なるほど、そう言われると自分にも思い当たる節があり、このことを家に帰って娘に話しました。
すると幼い子供を持つ娘は
「家族に対する執着ってなかなか捨てられないのよね。
たとえば習い事ひとつとってもそうだし。
子どもの向き不向きもあるしね。
でも子供に執着のない親なんて、そっちの方がおかしいわよ。」
と返ってきました。
言われてみると、私も二人の娘に、習い事や塾なども強制していたような気がします。
娘に良かれと思ってしていたこと、それが子供に対する執着だったかもしれません。
自分では全くそういう認識はありませんでしたが…
夫の両親と自分の両親を見送り、娘二人も結婚した今は、かなり執着心が薄れたように思います。
教本に、
『特に年配の女性は、常人の中であまり執着心がないから、心性をしっかり制御できます。そのため功が現れる人が多いのです。』
と書かれていますがその意味も理解できる気がします。
皆さんも心当たりはありませんか?
気功を通して自分の執着心に気付き、少しでも取り除いていくことができたら、心も身体も軽くなった気がするかもしれません。
皆様のご参加をお待ちしています。
今回の新型コロナで2月から5月迄の4か月間、気功教室をお休みさせていただきました。
新たな気持ちで6月から再開致しますのでどうぞ宜しくお願い致します。
日本の非常事態宣言は徐々に解かれていますが、世界中の多くの地域で人類はコロナと共存という形を取らざるを得なくなりました。
コロナの特効薬もワクチンもない今は、栄養バランスを考えた食事と自らの免疫力を高めて病気になりにくいように身体を整えるしかありません。
目に見えないウィルスに皆が振り回されていた2月、3月。
そしてだんだんと実態が見えてくると、対策が遅れ医療崩壊を伝えるテレビの報道に恐怖心を持つ人が少なくなかったようです。また、人と会わず家に篭っていることで、漠然とした不安を感じる方も多かったのではないでしょうか。
私はというと、静岡気功もお休みし、家で気功をしたり、読書や掃除をしたりしていました。
せっかく始めた静岡気功もお休みしたことは残念なことでしたが、教室で皆とする気功は、場のエネルギーも加わりパワーのあるものですが、この機会に一人でじっくり気功をしたり、日々の生活をじっくりと見つめ直すことができました。
そして、気功は、目に見えない物への恐怖心や不安を取り除き、冷静さや安心感、心の栄養を与えてくれるようなものだとあらためて感じました。
私がお伝えしているこの気功は動作を覚えてしまえば、毎日家で一人ですることができます。
畳、半畳の広さがあれば十分ですのでどこでもおもいたったときにできます。
爽やか気功体操静岡では正法の気功をしております。ご興味のある方はぜひ体験しにいらしてください。
気功は体内の気の流れを良くし、免疫力を高め、健康を増進すると言われています。
実際、武漢で爆発的にコロナが流行した時、病院に入れず自宅で気功をして治したという記事もあります。
気功は東洋医学の養生治療の位置付けなのでそれもある意味正しいと思います。
これを聞くと気功にコロナ効果を求めてしまう人がいるかもしれません。
この気功の本で、先生は
『無為の状態で修練し、心性の修練に専念すれば、次元もどんどん突破していって、得るべきものが得られるはずです。
何かにこだわればそれは執着心ではありませんか。
われわれは初めから高次元の法を皆さんに伝えているので心性に対する要求も高いのです。
ですから何らかの求める心を持って法を学んではいけません。』
と書いています。
人間は弱いもので、目に見えない恐怖には何かにすがりたい、と思うのは当然ですが、それを目的として気功をするのは間違いだということです。
気功は修練ですから、何かを求めるのではなく淡々と修練をしてうちに心も身体も元気になると思えば、長く楽しく続けることができるのではないでしょうか。
静岡でこの教室を始めて一年が過ぎ、今年の1月も順調にスタートしたのですが2月から新型コロナウィルスの影響で中止しなければならない状態が続いています。
いまだに収束する気配はなく一体これはどういうことなのかと考えながらこの気功の教本を読みました。
『何かトラブルに遭遇したときはそれを偶然なことだと考えてはなりません。なぜならトラブルは突然現れるかもしれませんが決して偶然なものではなく皆あなたの心性を高めるためのものなのです。』
『平素から慈悲の心と、穏やかな心理状態を保たなければなりません。
そうすれば、何か問題が突然現れた時に、それに正しく対処することができます。平素から慈悲の心を保っていれば、問題が突然現れても、たいてい一息置いて考える余裕があります。
心の中でいつも人とあれこれ争うことばかり考えているのであれば、問題が起きると、必ず相手と真っ向からやり合うに違いありません。
ですから、何かトラブルに遭った時こそ、自分自身の黒い物質を白い物質に、つまり業力を徳に転化させる時だ、とわたしは言うのです。』
と教本には書かれています。
人心、道徳が退廃し業力が大きくなった現代人は、自らのつけで今このような最悪の事態を招いているのです。
ひとに嘘をついたり傷つけたり、環境を破壊したり、全てが業です。
自分が無意識に行ってきた行動一つ一つを振り返り、自分自身のここがよくないと改心していかないと、今まで業を積み重ねてきた現代人が簡単に疫病に打ち勝つことは難しいのではないでしょうか。
気功をすることによって自分を整え、事態を冷静に見つめることができるため、プラスの行動を起こすきっかけになると感じています。
まず自分自身を正すことから始めていくことが大切だと思います。
日本でも新型コロナウイルスによる感染拡大が明らかになってきました。
今はまだ、検査を受ける人の数が少ないですが、これから検査数が増えるに従って、日本での感染者数も急拡大していくはずです。
確かにこの肺炎は罹っても症状の出ない人、軽い症状で済む人、その一方で重症化する人、亡くなる人もお年寄り、特に持病を持っている方が多いようです。
日頃から、手洗い、うがいなどの予防に加え、自己免疫力を高めることが大切です。
免疫力という観点からいうと、食事や睡眠などの規則正しい生活はもちろんのこと、気功も東洋医学の養生治療に分類されるもので、気の流れが停滞しないようにスムーズに流すことによって健康を保つという観点から免疫力を高めることに効果があると言われています。
既に、全国的に学校がお休みになったり、これ以上感染が広がらないように不要不急の外出を避け、できるだけ自宅で過ごすように指示がでています。
病気による不安や生活の自由が制限された今、今まで何もなかった時の日常の有り難みを感じつつ自分の奢りを反省し、個々に内観する期間なのではないかと感じています。
【爽やか気功体操静岡】にすでに通って頂いている方は、お時間が取れない場合は、1番の気功の動作だけでもよいので行って頂くことで、身体を整えると同時に内面と向き合い、深く自分を見つめ直すことができると思います。
また、春になりコロナウイルスの終息と共に、それぞれの学びを経て、再び【爽やか気功体操静岡】でお会いできることを楽しみにしています。
2020年、初回の【爽やか気功体操静岡】も無事開催することができました。
ご参加頂いた皆様ありがとうございました。
爽やか気功では体操後、自由参加のお茶タイムがあります。
皆さんと気功のことやそれ以外のたわいのないことなど、みなさんとおしゃべりするこの時間を楽しみにしているのですが、先月の気功体操をした後のお茶タイムのとき
「動作をしている時にさまざまなことが頭に浮かび、集中できないです。」
「何も考えずに瞑想できるようになりたいです。」
などの声が上がりました。
私もまだ未熟で、特に家で一人でやっている時など、とんでもないこと(夕飯の買い物は何にしよう…)を考えて慌ててもとに戻すなんてことがあります。
けれど皆で集まって皆で気功をすると場のエネルギーも増して集中しやすくなるのも事実です。
この気功の教本の【清浄心】という箇所に集中できない原因が書いてあるのでご紹介します。
「人は簡単に入静できますか?
できるはずがありません。
根基がよっぽどいい人を除いてはできないのです。
つまり、入静できない根本的な原因は、方法にあるわけではありません
何か奥の手があるわけではなく、その人の考えや心が清浄(しょうじょう)でないからにほかなりません。社会の中で、人と人とのトラブル、個人の利益や七情六欲、さまざまな欲望への執着のために、人と争ったり闘ったりする、こういうことを捨てられなければ、こういうことに対して淡白になれなければ、入静しようと思うなど、とんでもないことです」
気功をしながら夕飯のことを考えるのも食べ物への執着、家族のことを考えてしまうのも情という執着だと気づき、ここを読んだときに、自分が無になれない訳がよくわかりました。
集中するという意味で、執着を手放すことは仕事にも勉強にも通じるのではないでしょうか。
爽やか気功では、今年より皆さまのご意見もあり動作と少し気功の講義の時間を取り入れています。気功の考え方について興味のある方も是非教室にいらしてください。
明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いいたします。
2年目を迎える今年は、【爽やか気功体操静岡】では、皆さんと気功を通じて体も心もより高めていきたいと考えています。
【爽やか気功体操静岡】の動作は、全身の気の通り道の塞がっているところを通るようにし、大量の気を集めて、排出、全身に気を運ぶこという一連の動作を繰り返すことによって、他人に施してもらうのではなく、自分の心身を自分で整えることを目的としています。
気功を通じて健康な体や心作りをしていきましょう。
また、動作をするだけでなく、教本を読んだりしながら、気功について少しずつ理解を深める時間をもう少し設けたいと思っています。
よりパワーアップして参りますので、【爽やか気功体操静岡】で、皆様とお会いできますことを楽しみにしています。
新年最初の【爽やか気功体操静岡】は1月25日(土)13:30-15:30を予定しております。
今年の1月から静岡で始めた【爽やか気功体操静岡】ですが、おかげ様で無事に12月の教室も終えることができました。
横浜、新橋と5年間続けてきた気功を夫のUターンに備えて静岡で始めることにしたのですが、一緒に気功をしてくださる方が集まるのかと不安でした。そんな心配のなか、毎回参加してくださる方がいらして、とても嬉しかったです。
手際が悪かったり至らない点、この気功の良さを上手く伝えられないこともありましたが、ご参加くださいました皆様、本当にありがとうございました。
静岡の教室は比較的若い方も多く、老若男女に関わらず気功に興味を持ってくださることを嬉しく思っています。
また、1ヶ月に1回ということで動作も徐々に覚えて頂ければと思っていましたが、私が思っている以上に皆さん覚えてくださるのが速く驚きました。
この気功で、自分の心身を自分で整えることの良さ、大切さを少しでも感じていただけたら幸いです。
来年も【爽やか気功体操静岡】は、月1回開催しますので、皆さまのご参加を心よりお待ちしております。
「何か身体に良いことを始めたい」という思いで【爽やか気功体操静岡】に来てくださる方がいます。
中には以前、ヨガをスポーツクラブなどで経験している方もいらっしゃいます。
ヨガはインドで古くから伝わる心身修練方法で、気功は中国で古くから伝わる心身修練方法です。又、ここで行っている気功は、数千種類の気功法が存在すると言われている中の一つです。
ところで、心身修練とは何のこと?と思われるかもしれません。
修練の〝修〟は自分の心を高めていくことを指し、〝練〟はこの気功の動作のことを指します。
この気功の本の中でも、
『絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修練の過程の全てです。
社会において人々は奪い合ったり、騙しあったり、個人のわずかな利益のために人を傷つけたりしますが、こういった心は全部捨てなければなりません。』
と書いてあります。
〝修〟と〝練〟ですから気功の動作をすることで健康を保つと共に、心も高めていかなければならないということですが、私もまだまだ勉強中です。
今はまだ気功の動作だけを行っていますが、皆様からのリクエストがあれば少しずつ本にも触れて、心も成長させるきっかけになれば…と思っています。
皆様のご参加をお待ちしています。
実りの秋となりました。
庭の柿も色づき始めました。
ところで、みなさんは職場や家庭でつい余計なことを言ってしまい、あとで後悔した、なんてことはありませんか?口は災いのもとなどともいいますよね。
私も先日、このような思いをして、はたと思い出したのが、この気功の教本に書かれている【口を修める】という項目です。
口を修めるとは、簡単に言うと発言を控えた方が良い場面ということです。
『人と人との間にトラブルがあって、あなたが良いとか、彼が良くないとか、このこと自体摩擦です。
わたしは何かをやりたいとか、今このことはどういうふうにやるべきだとか、こういうことでも無意識のうちに誰かを傷つけるかもしれません。』
身近な人間トラブルも、よくよく考えて発言しないと相手を傷つけるだけでなんの意味もなくなってしまうので、慎重な発言が求められますよね。
また、これ以外にも発言を控えた方が良い場面についてさらに言及されています。
『この気功では、われわれが口を修めるようにと説くのは世の中の人の中での捨て難い名利や、社会における実際の仕事と関係ないことについて話したり、無駄話をしたりすること、あるいは執着心にそそのかされて自分を顕示すること、あるいは社会のその他の話題に興奮を覚えたり、喜んで話したがったりすること、などです。
これはみな世の中の人の執着心であるとわたしは思うのです。
こういうことに関して、われわれは口を修めるべきだとわたしは思います。』
と書いてあります。
例えば、世の中の良し悪しを、テレビなどのマスメディアの一方的な報道の側面に踊らされて、不勉強なまま発言したりすることはないでしょうか?
嬉しかったことなどを必要以上にお友達などに話して自慢話のようになっていないでしょうか?
自分に優勢な相手とのトラブルについて、必要以上に相手の非を攻めたてたりしていないでしょうか?
気功を通して心を整え、自分を正し、生きていくうえで起こる色々な状況において冷静に物事をを見つめ、正しい発言ができるように、これからも爽やか気功体操静岡では皆様と共に向上していければと思っています。
皆様のご参加をお待ちしております。
先日、この気功教室は参加費一回300円と何故こんなに安いのですか?という質問がありました。
その理由は、この気功の師の李洪志師父の方針からです。
『この気功を伝える時、それによって名誉や利益を求めてはいけません。したがって講習会を開いて受講料をとってはいけません。』
なので、実際に私も部屋を借りる代金の一部だけを皆さまから頂いております。
この気功は中国伝来の気功で、悠久の昔から伝わるものです。
世界各地で行なわれているため、この気功の教本は、日本語、英語を含めて45の言語に翻訳されています。
またこの気功においては先生は李洪志 師父1人だけで、その他の人は生徒、弟子という関係性なので、わたしも、『爽やか気功体操 静岡』においては、気功についてお伝えする立場にありますが、先生というより、気功を行う同志や仲間という言い方の方が正確かもしれません。
なので、気功を通して、私自身も皆さんと一緒に健康保持はもちろんのこと、自分の心も高めていきたいと考えています。
ご興味のある方はどうぞこの機会に、ぜひ気功に触れてみてください。
身体にも心にも響くものがあるはずです。
残暑厳しい日が続きますね。
今回は 『爽やか気功体操 静岡』の教室の様子教えてほしいという要望がありましたのでここに書かせていただきます。
教室の流れと致しましては
正念(場の浄化)
気功の動作(約30分)
休憩
瞑想(約30分)
その後は歓談、お茶タイム(自由参加)でこの気功の説明や体験談、質問など、皆でお話して終了です。
また、個人の教室ですので、私が一人で動作の説明から最後まで担当し、夫に設営などを手伝ってもらっています。
静岡では今年の1月から月に1回のペースで始めたお教室ですが、おかげさまで毎回数名の方がいらしてくださり、有り難く思っています。
尚、初めての方には基本の形だけ最初に説明させて頂き、実際に行っていきます。月に1回ですので、徐々に動作などは覚えて頂ければよいですので、無理のない範囲でご参加頂ければと思っています。
どうぞお気軽にご参加ください。
皆様のご参加を心よりお待ちしています。
暑い日が続きますが体調を崩されたりしていないでしょうか?
【爽やか気功体操静岡】では五式の功法(五つの動作)を行なっています。今回は動作の主な目的や意味をお伝えします。
①身体のエネルギーの塞いでいる所を疎通させる
②大量にエネルギーを吸収する
③体内の廃棄物を排除し、身体を浄化させる
④次元を高める
⑤神通を加持する
動作は少ないですが、練るものはとても多いのです。
さらに言うと動作だけでなく心を修練する(心性を向上させる)ことが功を伸ばす要だと教本に書かれています。
心の修練とはいろいろな欲望、執着心を捨てること、苦の中の苦に耐えることなどですが、時々教本にも触れて日頃のストレスからくる心の歪みも治しながらこれからも皆様と楽しく行っていきたいと思います。
皆さまのご参加をお待ちしています。
先日、天童に住む叔母のお見舞いに行き、その翌日、山寺(立石寺参拝コース)に登ってきました。
登山口から山寺随一の眺望を楽しめる五大堂まで約1000段の石段をのぼります。
そびえ立つ奇岩、樹齢を重ねた杉木立を見上げながら、ゆっくりと登りました。
一段登るごとに煩悩が除かれるという石段は静寂の中に心が洗われるようでした。
息子さんに見守られながら杖をつき登っていかれる80過ぎくらいのご婦人をお見かけし、私は内心無理かと思いましたが、五大堂でお見かけした姿は清々しいご様子でした。
健康であればこそ味わえる達成感でしょうか。
この気功は自分で自分の身体のエネルギーを整えて(身体浄化して)強化して健康になる、健康を保つものです。
気功をする時間や場所にもこだわりません。
しっかりと習得すれば家で一人で行うことができます。
『爽やか気功体操静岡』でこの気功を身につけて、健康な身体を作っていただきたいと思います。
多くの方のご参加お待ちしております。
6月に入りそろそろ新しい職場、新しい学校、クラスに慣れてきた頃でしょうか。
環境が変わるということは老若男女問わずストレスを感じますし、特に対人関係で悩みを抱えていらっしゃる方は多いと思います。
職場で不当な扱いを受けた、学校で仲間はずれにされた、ご近所やママ友から理不尽なことを言われた、状況はさまざまですが、こんな時「一言文句を言いたい!」と思うことがあるかもしれません。
この気功の教本の中に
『トラブルが突然起きた時どのように対処すればよいでしょうか?
平素から慈悲に満ちた、和やかな心を保っていれば、問題が起きた時には、一息おいて余裕をもって適切にその問題に対処することができるのです。
日頃いつも慈悲の心を保ち、善をもって人に接し、何かをする時にはいつも他人のことを考え、問題が起きた時はいつも他人がそれに耐えられるかどうか、他人を傷つけることはないかを考えていれば何の問題も起こりません。』
という箇所があります。
私は自分にトラブルが起きた時、この教本の言葉を思い出すようにしています。
皆さんも参考にしてみてください。
不思議と心が落ち着きますよ。
5月になり、暑い日が続きますね。
さて、今年の1月から『爽やか気功体操静岡』がスタートし、5月11日が5回目でした。最近の教室の様子を少し書かせていただきます。
以前から気功に興味があり参加してくださった方、何となく体調が優れずいらした方、お友達に誘われていらした方、さまざまですが、終わった後のお茶タイムでは、手のひらがポカポカした、汗が吹き出してきた、両手のひらから気が出ている感じがする、と貴重なお声をいただきました。
この気功は身体を動かすことで身体の気を循環させる内気功ですのでこのように感じられたのだと思いますが、まだ日も浅いのにこの様な感覚がわかるのは驚きです。
お年を重ねた方はもちろんのこと、ストレスの多い現代、若い方でも何となく体調が優れないとか寝つきが悪いなどいろいろな症状がでてきます。
自分で身体の気を動かして体調を整えるこの気功は、今の世の中に必要とされている気がいたします。
『爽やか気功体操静岡』では、皆様のご参加をお待ちしております。
【令和】も皆様と一緒に爽やか気功体操静岡を行いたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
5/1大阪の葛井寺へ行きました。
紫色のふじの花はすでに枯れかかっていましたが白いふじの花は満開で雨に濡れたふじの花も艶やかでいいですね。
御朱印目当ての人が長蛇の列をなしている一方で、貴重な御開帳の日にもかかわらず千手観音像を参拝する人はちらほらでした。
葛井寺の千手観音像は千の手と千の目を持つ千手千眼観音菩薩です。
私はじっくりと拝顔し、ご縁を感じて帰ってまいりました。
さてこの気功の功法は五式の動作からなっていますが、1番の『佛展千手法』は千手観音の手の動きです。
動作は簡単であっても、やりはじめるとエネルギー場が非常に強いという特殊な感覚を覚えることがありますが、それは全身のあらゆる気の通路を開かせ通じさせたからです。
皆様もぜひ体感してみてください。
先日はお集まり頂きありがとうございました。
季節は春になりました。
新しいことを始める季節ですね。
私が気功を始めたのも春です。
その当時、職場の人間関係に加えて、親の介護の問題などもあり、自分の気持ちを中々言い出せない自身の性格も災いし、ストレスを抱えていました。
何か気分転換になるものを…と考え友人に誘われるままに気功に参加したり、ヨガ、ボルダリングその他の習い事を体験してみました。
気がついてみると結局この気功だけが今も続いています。
その事についてなぜなのか考えてみたのですが、気功を続けることで自分をとりまく状況が少しずつよくなっていたのを実感できたからだと思います。
初めは気功の効果?と考えましたが、気功そのものの効果というより、気功を通して自分を見つめ直した結果、凝り固まった執着を少しづつ手放すことができたのかなと思っています。
少し長くなりましたのでこのつづきはまた次回に書いたり、教室でお話できればと思います。
新しいことを始める春、爽やか気功静岡で一緒に皆様と気功できることを楽しみにしています。
先日、2019年1月12日爽やか気功体操 静岡の初回を無事に開催することができました。 お集まりいただきましてありがとうございました。 私自身も以前からご縁のある「静岡」というこの場所で、そしてこのタイミングで、気功体操を行うことの意味を改めて考えた次第です。
今後もご参加お待ちしております。